釜山港へ帰れ
亡き父がよく歌っていた。
失礼ながら
渥美二郎という名を今知ったほどに
私にとってはあつかましくも
父が歌っていた歌としての記憶なのである。
私が父のことを突然思い出すとき大概それは、息子たちが絡んだエピソード記憶である。
今やすでにジャングルに帰っていった
息子たちのうちの一人が
小学低学年だったある日のことである。
おかあさん
今日ね、学校で
〇〇(仲良しの女子)にね
「山に帰れ!」って言われたの。
山に?帰るの?
どうして?
そう聞いたら
わからないけど
「猿🐒は山に帰るもの」なんだって!
そう言っていたの。
猿とは山に帰る
そういう生き物
そうなんだぁ。
そういうものなんだね。
なぜ、人間の子どもであるはずの長男がクラスの女子から猿認定されたのか。
その背景は今も昔も
わからないというのか
わかるというのか
母親の息子理解とは多くの場合
その程度なんじゃないかと思う私がいるが、息子の立場になったことがないためなんとも言い難いところでもある。
〇〇ちゃんという女子はこのときに
「(勉強ができそうにはとても)見えないよね」と長男の学力について実母である私に共感供述を強要したお母さんの娘さんである。
母娘そろって、とてもユニークで魅力があるのだ。
中学の卒業アルバムには
「口は悪いけど、まぁなんだかんだいい奴」と書いてくれていて
〇〇ちゃんと長男は高校は別々だったけれど、お互い彼氏とか彼女ができる年頃になっても仲良くしていた女子友のひとりである。
高校修学旅行では、互いの行き先が違うのをいいことに希望のお土産を交換し
その方法で入手したダッフィーちゃんを、長男は就職した今も大切に引越し先まで連れ歩いている。
わからないけど
「猿🐒は山に帰るもの」なんだって!
そう言っていたの。
猿のような男子小学生に
「山に帰れ!」と
命じるばかりでなく
わからないけど
そういうものなんだって!
そんなふうに
母親に報告させるほどの
説得術をもつ女子小学生
今はどうしているのだろう。
〇〇ちゃんのあの術は
いったいなんだったのか…
そう思ったとき、わたしの指は
診断ボタンを押していた
診断結果
息子以外の男性を「育てよう」
そう思えるほどの奇特さは
全く持ち合わせていない私であるので
心にもない選択ボタンを押してみて
他の診断を見てみるという
試し行為に及ぶことにした。
が
10問ほど答えたあとに
広告を見たら結果が出ます
という数秒の間が面倒すぎて
やめてしまった。
待たされることにわたしたちは
慣れていない。
それはそうかもしれないけれど
いつまでも待っているつもりで
いつのまにか待たせているのが
母親にとっての「男子子育て」なんじゃないかと思うのだ。
女子と大人の男性は
育てたことがないので
わかりません。