子供の頃すごく欲しかったもの

 



6歳だった長男が、雪国☃冬のイベントの帰りに、急行列車とホームの間に挟まるという、起きてはならない事件から16年


これは、母親ひとりで幼児を2人連れて歩くことが常になっていた、母子家庭だからこその惨劇であると


当時は思い





シングル子育てを

甘く見てはいけない


ことを痛感し


きわめて珍しく、心底反省した

レアレティの高いエピソードであった。





けれども、まぁ


長男が、親切で逞しい見知らぬ男性によって

その狭間から救出されて以降


ふたりとも元気に成人した今

適当に振り返れば


あっと驚くエピソードに事欠かない愚息に恵まれて、家庭内で日々不思議を発見する時間は、瞬く間に過ぎ去ったことに気づく。






冷静な他人からみれば

失敗続きだった日常を


「充実していた」と懐かしく呑気に

想うことができるのは、



空の巣に住む能天気な

アラフィフだからこそである。



けれども


このときの冬のイベント

長男が危機に陥る数時間前にも


少しの寂しさと、取り返せない時間を悔やみながら懐う


かわいいりくくんにまつわる

悲しいエピソードがあった。



イベント会場の

土産売り場


次男りくが、あるものを指差し

「ほしい」と口にした。


それは、



お借りした画像です。
 

ダンパである。
その土産物やさんでは、大小さまざまなダンパが、4歳のりくを見つめていて

りくは、そのなかの一番大きなダンパを指して「ほしい。」と言った。

価格は忘れてしまったが、その大きさからして、5000円以上はしていたように思う。

子供の求めに応じて突然に買い与えるものとしては、たしかに安くはないが、

ローンをくむほどの高額ではない。

当時の私が購入を拒んだ
一番の理由は

「どうやって、連れて帰るのだろう?」
その答えを、見つけられなかったからである。


情がうつると、別れがつらくなると思い「抱いてごらん」とも言わなかったが、

そのダンパは、当時のりくの身長の半分ほどは、あるように見受けられた。


結局、一番小さな掌サイズのダンパをひとつ買い

そして、またなにか別の機会に、掌サイズより少し大きな、中ダンパを買った。




いまでも、りくの部屋には
2頭のダンパがいる。

今回、帰省したりくの前で、「おかえりなさい!」とパンダのような声色で、中ダンパの頭に小ダンパを載せたら

付き合い程度の一瞬の笑顔を見せたあと

「下になる(中ダンパ)方が、
ちょっとかわいそうだね。」 
と言った。


だから、
というわけでもないけれど



2つを仲良く並べて見せて

「ほんとは、りくは一番大きな

ダンパが欲しかったんだよね?」と


古傷を掘り返すように

聞いてみたら


「あー😊そのときのこと、なんとなく覚えてるよ。大きいのは買わなかったけど、でも、小さいの買ったじゃん。」と言った。


大きなダンパを

いまだに手に入れていないことは


「悲しいこと」でも「悔しいこと」でも「困ったこと」でもなさそうだった。




必要としていた。

「ほしい」と思った。

幼い時分



大きなダンパを抱える

小さなりくの満面の笑顔は


あとから 取り戻せる

ものではないのだ。




人の成長も、過ぎゆく時間も

とめられない。



中ダンパを、いつ誰が買ったのか…。それは

私もりくもおにぃちゃんも覚えていない、我が家の不思議である。






たぶん、親が気にしていることなんて、

案外どうでもいいこと。


親が、気にとめていないようなことが

子どもの心に、留まるほどの衝撃

 だったりもするらしい。






2年前 りく18歳時の出来事


共通テストの2日目が終わった帰りの車の中で、


かあさんに


「1日目の国語、結構良かったよ。」って言われて、びっくりしたんだ。


自己採点、自分でやりたかったのになって。


自分でやる意思表示のつもりで、自分の部屋の机の上に、きちんとおいていたのに。


そうしておいたら、俺がいない間に、勝手に触らないだろうと思ったから。


悪い結果じゃなかったから、「まぁいいか」って思ったけど。


「もし悪かったら、どうするつもりだったんだろ?」って思ったよ。



「悪かったよ。」なんて、言うのも嫌だろうけど、人から聞くのも嫌だからさぁ。





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