昨年の12月27日からはじまった

おにぃちゃんとりくの

                  成長記録 追憶版



彼らの子ども時代


日本という安全な国で

                 それなりに平和


とはいえ

シングル家庭で育ったことや、りくの幼児時代の若干の発達遅延、おにぃちゃんの小学生時代の難病との共生など、見方によってはハンディキャップとなりうるものが多少はあったのだろうと母親としては感じており、


それでも

彼らなりの苦労や不安のなかで、自ら楽しく生きることへの貪欲さを失わずに今に至ることを、とてもありがたく思っている。


二人はときどき行方不明になることがあったり、



私の勤務先に、おにぃちゃんが救急車🚑に乗って、やってきたりもした。



そんないろんなことを、ほぼ一年間に渡り明け透けに綴りながら、実は書き渋っていたことがある。




おにぃちゃん  6歳10ヶ月

                りく  4歳8ヶ月



友人と現地で待ち合わせて、冬のイベントに行った帰りだった。


私はおにぃちゃんとりくを連れて、特急列車に乗ろうとしていた。


混雑のなかでも皆が行儀よく並び、列車のドアが開いて順次乗り込み始めた。


私たちの番だ。


私の前にはおにぃちゃんがいて、りくは手を繋いで私の横にいた。


おにぃちゃんの前にいた大人の後に続いて、おにぃちゃんが乗り込むという、ごく普通の流れになるはずだった。



ところが


ストンという音もなく

悲鳴もないまま


         おにぃちゃんが突然

              私の視界から消えた。



プラットホームと車両の間の隙間に、嵌まったのだ。


泣くでもなく、わめくでもなく、なんらかの言葉を発して助けを求めるわけでもなく、ただ静かにおにぃちゃんは、その隙間にはさまっていた。


背負っていたリュックと着ていたダウンコートがうまい具合にクッションになりながら、プラットホームと列車の間の彼の体を支えていたのではないかと思う。


私は大変なことが起きたことには一瞬で気がつきながら、痛がる表情もなく、無理に悶えるわけでもなく、静かに体を保っているおにぃちゃんの様子を観察した。


        というより

      それしかできなかった



りくの手を

離すわけにはいかない。


なぜか、咄嗟にそう思い

                           それに続いて


いゃ、そうではなくて…

おにぃちゃんを引き上げるには…?



控えめに言えば呆然と

普通に言えば

ボーッとしすぎなのだと思うけれど


頭の中は真っ白でもあり

思考が逡巡してもいて

胸中は 自責の念に

とらわれていた。



6歳児の

  慣れない列車への乗り込み


にもかかわらず

そんな危険がふりかかるとは、全く予測していなかったのだ。



不注意を後悔しながら、このままおにぃちゃんが下に落ちてしまったら…と強い不安に駆られた。


りくの手を離せば、抱えて引き上げることはできたのだろうか。


体重は20㎏前後だったと思う。


とても、長い時間に感じていたけれど、1分もなかったのかもしれない。



突然  どこからか…

黒っぽいコートのビジネススタイル、しかしながらビジネス鞄もなにも持っていない男性が駆け寄ってきて、


おにぃちゃんを、ひょいっとプラットホームに立たせ


そのまま駆け抜けて行った。



顔をしっかり見たわけではないのだけれど、当時の私と同じくらい…アラサー世代だったような印象である。


とっさのことに、お礼はもちろん言えていない。



私の記憶映像としては

私の右手側から走り込んできて、私の目の前を抜けながら、その途中におにぃちゃんを列車の隙間から抱き上げてプラットホームに立たせ、左手側に走り去っていったというイメージである。


20㎏~30㎏くらいの

         子どもを抱えること


職業柄、車椅子に座っていたり、ベッドや床敷きのマットレスに寝ている子供を抱きかかえる機会はあった。ただし、その子どもたちは私の首に手をまわし体を密着させてくれることが多い。



そのためなのか…?


プラットホームと列車の間に嵌まっている子供を後ろから引き上げることが、そんなに容易いとは、その時の私には思えなかったのだ。



私が思い出したことについて、息子たちに「覚えている?」と過去の記憶を探るのは、わりと楽しいのだけれど、このことだけは、いまだ聞けていない。


覚えているなら覚えていてもいいのだし、むしろ覚えていても  全く不思議ではない。

もっと幼い頃の出来事が

記憶にあったりするわけだから…。


助けてもらったことは

知っておいた方がいい。

             そんな風にも、もちろん思う。


子どもの頃に助けてもらった経験は、大人になった彼らが、人に手を差しのべる原動力になると思うからである。



ただ、母親に聞かれることにより、忘れていた方がいいようなトラウマ的な出来事を、わざわざ想起させてしまうことは避けたいと思ってしまう。


それはおそらく、私の中にまだ「目が覚めたら」の時以上の、ショックと後悔があるからなのだと思う。



先日 ちょうど帰省したりくに聞いてみた。


15年前の

兄の危機の話には全く触れぬまま


20㎏~30㎏の足元にあるものを、持ち上げることはできると思う?



当時は4歳児。

現在大学1年生になったりくは、あっさり答えた。


できると思うよ。

最近、スーパーでバイトをしているから。


酒とか米とか、20~30㎏くらいの重さになるように重ねて、まとめて1回で運ぶようにしているよ。




    逡巡しながら   

        また 1年が終わる。



あの男性は  なぜ

ビジネススタイルに

手ぶらだったのだろう…


なぜ右側から駆けつけてきて

左側に駆け抜けたのか…


そんなどうでもいいことも

実は長年 気になっていた。


誰かの見送りのために

プラットホームにいた人なのか?

                              と思い付いたとき


やっと その行動に

説明がつくような気がした。


いずれにしても、ジョギングコースで偶然に足元にいたおにぃちゃんを拾い上げたわけではなく、おにぃちゃんを助けるために駆けつけてくれたことは間違いないのだろう。


あれから15年


自己満足ではあるけれど


あらためて ここで

感謝の気持ちを記してから

年を越したいと思う。



おにぃちゃんの子ども時代は、いよいよ幕引きです。


    来春は、いよいよ社会人


    足元をよくみて  力強く

    確かな一歩を

      踏み出すことが     

        できますように👏⛩️


    彼を育ててくれた人

            守ってくれた人

             助けてくれた人


    全ての方に

    心からの感謝をこめて…  


  よいお年を

  お迎えください🎍