「君たちは、どう生きるか」


壮大なタイトルのこの本を、はじめて読んだのは、いつだったのだろう。







その壮大さに全く気づかず

さらっと読んだのは


10代〜23歳までの間というくらい

大きな幅をもつほど 記憶に遠い大昔




それから⏲⏱⌛⌛かなりの時がたち



漫画版の出版がきっかけだったのか、そのタイトルを よく目にするようになった。


そんな折、あるところで

たまたまみつけた 漫画版


手にとってみて数ページ立ち読みし、借りてみた。


そして、おじさんの言葉を、ブログ記事に引用したのち、返却したのだけれど‥‥






いま、モヤモヤしていることがある。



昔むかし、あるところで読んだ文庫本では、コペル君のおじさんは「大学卒業したての法学士」


だとすると、年齢的には

22歳〜24歳くらいではないかと

大昔の私は想定していたのだ。


しかし、最近読んだ漫画本で、そのおじさんは、勤めていた編集社が倒産し無職になったばかりのおじさんになっていた。


おじさんの年齢が、漫画の中で設定されていたかどうかはわからないけれど、30代〜40歳くらいとの想定で読んだ最近の記憶。



この現象はなんだろう?



コペル君のおじさんは、

いつ年をとったのか。



もしかしたら、わたしと共に?



Google先生によると、原作は岩波文庫のものであるとされていて、私が大昔に読んだのも、おそらくそれである。




その後、ポプラ社とマガジンハウスからも発刊され、マガジンハウスには漫画版と小説版があるらしい。


ということは、マガジンハウスの小説版に出てくるおじさんも、漫画版同様に、編集社が倒産した無職おじさんなのであろうか?



それならば、ポプラ社は?



それはたぶん、

Amazonで数百円で買ってみれば

わかることなのだと思うけれど




大学を卒業してまもない法学士だったはずのおじさんを、元編集者の無職に変えたのはなぜなのだろう?と思うのだ。


昭和12年から近年までに、結婚や出産の平均年齢が上昇したことをふまえ、


15歳のコペル君の母親の弟として登場するおじさんの、年齢再設定が必要だったのだろうか?


それとも??


原作当時の大学進学率は男性でも10%程度であったらしいところから考えると


このおじさんが、社会人経験のない20代の若さで、15歳のコペル君に、的を得た事を考えさせ導いてくれる。


その優秀さに、不自然さはなかったのかもしれない。


けれど、現代は??



大学全入時代と言われて久しく

望めばだれもが「学士取得者」になれるようになった。



ということは


あれだけのことを言える「おじさん」として、物語に登場しながら、


現代人の想像力に、無理を与えない。



そのために??


おじさんは、わたしと共に

青年期から壮年期への階段を昇った。



どうでもいい私の、一人妄想である。



おじさんのノートより


本当に人間らしい関係とは、どういう関係だろう。


君のお母さんは、君のために何かしても、その報酬をほしがりはしないね。


君のために尽くしているということが、そのままお母さんの喜びだ。


君にしても、仲の良い友達に何かしてあげられれば、それだけでもう十分うれしいじゃないか。


人間が人間同志、お互いに行為を尽くし、それを喜びとしているほど美しいことは、ほかにありはしない。