そこがどんな団体であっても

私は絶対に浄霊所には行かないよ。




利他愛

 

それらしい「立派なことを言う」人がいて、それを「伝えられる」人がいる。


それでも、

「聞く耳を持たない」人もいる。



私のように。






君たちはどう生きるか

吉野源三郎著



2年ほど前にお父さんを亡くした 

15歳のコペル君へ

叔父さんからのメッセージ


僕や、君のお母さんは

亡くなったお父さんと同じように、君に立派な人間になってもらいたいと思っている。


そのために、人間として

どういうことを守らねばならないかということについてなら、


君だって、ずいぶん多くの知識をもっている。



正直、勤勉、克己心、

義務に忠実

徳を重んじ、人には親切 



そんな円満な人格者なら、人々から尊敬されるだろうし、それだけの値打ちのある人だ。



しかし、


「君に考えてもらわなければならない問題」は、「ここから先」にあるんだ。


もしも、君が学校でそう教えられ、

世間でもそれが、立派なこととして通っているからと言って


ただそれだけで


言われたとおりに行動し

教えられたとおりに生きてゆこうとするならば



それじゃあ、君は


いつまでたっても


一人前の人間には

なれないんだ。




人間の立派さがどこにあるかは、

君の魂で知ることだ。


判断をしていくときにも

判断したことをやっていくときにも


胸から湧き出る

生き生きした感情



貫かれていなくてはいけない。



そうでなければ

ぼくやおかあさんが、君にどんなに立派な人になってもらいたいと望み


君もそうなりたいと考えながらも


君はただ

立派そうに見える人

になるばかりで



ほんとうに「立派な人」には、なれないでしまうだろう。




世間には、立派に見えるようにと振る舞っている人がずいぶんいる。


そういう人は、人の眼にどう映るかということを一番気にするようになって


本当の自分が

ありのままの自分が



どんなものかということを

ついお留守にしてしまうものだ。



ぼくは、君に

そんな人には

なってもらいたくない

と思う。




君自身が、

心から感じたことや

心を動かされたことを


くれぐれも大切にしなければいけない。





それを忘れないようにして、その感動の意味を、よく考えてみるようにしたまえ。



簡単に言ってしまえば


いろいろな経験を積みながら、いつでも自分の本心の声を聞こうと努めなさい。


ということなんだ。




何を信じ 

何に感動し

何に感謝するのか



誰に言われたわけでもないが


私は 

我が子に 感謝している。


たぶん、

自身の体に生命が宿り

十月十日を経て


産まれてきたときの

感動が忘れられないから

なのだと思う。



ここに

産まれてきてくれて ありがとう。



人として我が子として

この世に産まれてきてくれた。


だから


彼らには

心から感じ 心を動かされたことを

大切にしてほしいと思う。

 


先に生まれた者たちが

つくった社会に 


あとから生まれた彼らがどう溶け込むのか


感謝しながら みていたら


彼らなりのやり方で  

あかちゃんから 子どもになり

少年になり 青年になった







彼女とは、それ以降も

なんどか一緒に過ごしたけれど


私の生活が

より忙しくなったこともあって


互いの家を行き来する機会は

少なくなっていった。



翌年3月に、私は子どもたちを連れ、

実家の近くに引っ越しをしたから


それを機に、お付き合いはなくなった。



と思っていたら



一度だけ電話がきた。


「子ども達を連れて

まこさんちに、行ってもいい?」




片道4時間


      日帰りは不可能ではないけれど

          子連れでは難しい




その頃私達は、

実家からの徒歩圏内にうまく家をみつけられず、


狭小アパートに住んでいた。



「以前よりも、

さらに狭い家に住んでいるの」

と言ったら


絶句していた。


想像できなかったのかもしれない。



6畳二間の3人暮らし



なにはともあれ


彼女がまだ 離婚せず

家庭生活を続けていたことに

私は少し ホッとした。



あれから17年


彼女はどうしているのだろう



幼児を育てる

シングルマザーを救いたい


その使命感は きっと

誰かに言われたものではない。


離婚したてのシングルマザーは

誰が見たって 大変そうにみえるもの。 




恩師が言っていた。


シンママってね いつもぎりぎりなんだよ。


君の心のコップには

あふれ出るぎりぎりまで、水が入ってるんだ。

 

まぁ、君のことだから

頑張りすぎたり 欲張りすぎて

入れすぎるってことは 

ないんだけどね。


ただ、少しでも傾けたら

その水は こぼれるしかないから  


こぼれさせないように


いつも 無意識に

ものすごく緊張しているんだってことを

自覚しておいたほうがいいよ。





幼児時代に

療育センターに通ったりくは

大学生になり


小学生時代に

難病になったおにぃちゃんは

社会人になった



生きることの難しさと

生活の労に


「苦」がつくかどうかは

自分次第


と思うのは


たぶん傲慢




私の「子」育てに「苦」が

つかなかったのは


私自身の 

「親」のおかげであるのだと思う。





そしてまた




苦難と苦労と災いからの開放は、


彼女から

だけではなく



多くの人たちからの

利他愛

のおかげなのだろうと思うことも多い。




だから 彼女の17年も


自身が信じたご主人と、大きくなった子どもたちに囲まれながらの

 

自由な感動と感謝

そして愉しさとを相伴った、憩いの軌跡であったらいいなと思うのである。