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2020年秋より休職中
社会に出て9年目、ようやく本格的な療養と自己理解を進めています
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今回は、私がこれまで疑問や不満に思っても口に出せなかったことについてです
同じ言葉でもその時の状況により捉え方が変わると思うので、このブログでイメージして欲しい状況を最初に書いておきます
■「未来・将来」という言葉は、明日・1週間後など多くの人にとっては当たり前のようにやってくる日々。ギリギリのラインで生きている
■常に自分の不調を抱えている
■辛いけど経済的に余裕がなく焦っている
■病状を一定に出来ない・良い時と悪い時の差が激しい
公的機関での対応についても触れますが、私に関わってくれた方々には感謝しているし当時の私には素直に言葉を受け取る余裕がなかったため、どうしても歪んだ捉え方をしていました。
恨んでいるとか不満を残している訳ではないので、そこはお伝えしておきます
後半は私が感じる“世代に関する色々”についてです
今回も長文ですが、ぜひ最後まで読んで頂けたら嬉しいです
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私の場合だと、色々あって退職に追い込まれたタイミングや不安感が残る中での転職(入社)です。
ハローワークや職業準備支援に通い様々な相談をしてきました。
こういった機関は、相談者が最終目標とする「就労」に向けて助言やサポートをしてくれます
就職に関する不安や疑問に対して、沢山話を聞いてくれたしアドバイスもしてくださったので感謝はしています
ただ…、色々話した最後に「でもまだ若いんだし!大丈夫よ!」というような締めくくり方をされた場合、“そうじゃないんだよな…”とよく思っていました
若いから○○できる・大丈夫=失敗しても挽回出来る
という意味合いだと思いますが、それは確かに平常時なら分かります
ハローワークの専門窓口や精神・発達障害者を対象にした機関を訪れる人って、相応の困難を抱えているんですよね。
私だと・・
■働けるか微妙なラインだけど、生活のためには働かないといけない状況。
■本音を言うともう少し休んでいたい
■入社したところで次はいつ辞める流れになるんだろ?
ずっと考えている訳ではないですが、退職前後の1~2ヶ月ほどは断続的にそういう思考がグルグルしていました。
離職票を持ってハローワークの担当者の元へ行く時には毎回気が重たかったです
本当はこういう場所に何回もお世話になるのは違うのかも知れませんが、両親に話したところで安心出来るような会話は出来ないため、その辺も含めて相談をしていました。
立場上「働かなくて良いよ」なんて言えないことは分かりますが
《言われても響かない言葉》
■生きていれば良いことある
■挽回出来るチャンスはいくらでもある
■前を向ける時は必ずくる
励ましの意味で言ってくれる言葉に対しても、“どうせ”と思ってしまいます。
と同時に、その言葉を言ってくる人には一時的にですが「あまり本音は言わないでおこう」と思います。
相談する時ってそれなりに期待を持つんですよね。甘い言葉が欲しい訳ではないですが、やみくもに前を向かせようとして欲しくなかったりします。
体力・精神的にも挽回するだけのエネルギーが残っていれば、ある程度は可能だと思いますが…
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少し話しは変わりますますが・・
親世代に悩み相談をした場合、「若い頃はそんなこともあった」とか「なるようにしかならないから」(=気にするな)のような返しをされるんです
その回答が間違っているとは思いませんが、もう少し相手の立場になれないものか?と思ってしまいます
私であれば、3学年差だと十分「若い」と感じます。
新卒で入った会社では、同期に高卒の子がいました。
新入社員なので立場も業務内容も全く同じですが、ふとした時に“若いんだな~”と思っていました。(この感覚が年上なのかな?)
気さくな子が多かったので、先輩に言いずらいことも私に話してくれることもありました。
私自身があまり「年齢」を意識したことがなかったせいもあるのか、年下の子の悩みも「若いから」を軸に話したことがないように思います。
1社目の時点で私は心療内科の通院歴があったし、メンタル不調も抱えていたので…
優しい子が多くて、私がヘラった時に「○○さん大丈夫ですか?何かあったら言ってくださいねー☆」なんて声をかけてくれたりもしました
『病んだ時はお互い様』
これはずっと思っていることだったりします。
*言葉遣いに関しては若いんだなーと思って苦笑してしまい、年上の同期として上手い具合に指摘していたかな!?(私にはまだしも、その言葉遣いを先輩にしないでくれーという感じでした
)
それから・・
私はいわゆる「ゆとり教育」の世代です。そのため職場でも、「これだからゆとりは」と言われる時もありました。
「平成一桁」だけでもチヤホヤされた時期もありましたが、数年もすれば珍しくも何ともないんですよね。
私があまり親世代に対しての印象が良くないからもありますが、年齢や世代を軸に話すことに嫌気がします
私が思う「若い」と親世代が思う「若い」は、年の差における認識が違うのかなと思います
先輩と年下同期との板挟みは、なかなかに微妙な立場でしたが「程よくお姉さん」になれた気がしました(一人っ子の私目線)
(脱線しました)
私は正直、悩みを抱えた年下の子たちの気持ちは理解できません
ただ、同じ目線に立って一緒に悩んだり考えたりすることは出来ます
「辛い・しんどい」と感じる内容は同じでも、年齢と共にダメージを受けなくなる印象があります。
それが「経験」というものだとも思いますが、それは時が経てば自然に身に付くものでもない気がするんです
自分自身が若い時に「辛い」だけではなく、どれだけ「自分と向き合ったのか」が大事なんじゃないかと。
よく「その歳でしっかりしてるよね」とか「ちゃんと考えてるんだね」なんて言われますが、それは私なりに自分のことを考えているからです。
*不出来な自分は何かしら改善しないといけない気がしてるし、それをするためには色んな角度から自己分析するしかないと思ってるから。
逆に、そう言う人(親・上司など)は自分とどんなふうに向き合っているのか疑問です。
20歳でも50歳でも、それぞれの歴史があります
年齢が上がっても、歳を理由に何かを諦めたり成長することを自分から止めることは、私はしたくないです。
それは今が穏やかだからそう思えるのかも知れませんが…。
「若いから大丈夫」の言葉を言われて私は苦しかった時期があるから、その言葉を言いそうになった時は立ち止まりたいと思います
そして辛かった時期のことも、負担にならない程度に忘れないでいたいです