私は家族と生きる。~毒親育ちが母になった~ -54ページ目

毎年の恒例行事

近所の子供たちでハロウィンハロウィン


皆で仮装してお菓子を貰いにおねがい

20人分ジンジャーブレッドマンジンジャーブレッドマンジンジャーブレッドマン


企画が始まった頃はヨチヨチ赤ちゃんばっかりで
仮装にも熱が入ってたけど
今はもう小学生ばかりになってきて
仮装グッズもDAISO多し笑

娘も以前はドレスを着たがったけど
今年は恥ずかしいからと
ハロウィンの帽子すら被りたがらず泣

3人にお揃いの衣装で仮装させる母の自己満足も
もう今年で終わりかなー悲しい


昔は私ひとりで3人をお菓子の列に誘導しながら
自分ちの番が来たら皆に配って
写真まで撮るのになかなか忙しかったけど
(常にワンオペ)
もう勝手に並んで勝手にもらってくるようにびっくりマーク



3年前下矢印





4年前下矢印




5年前下矢印



コミュ障だから、子供たちの仮装写真を撮るという理由をつけないとただただ面倒くさくなっちゃうんだけど

特に次男はハロウィンが終わった瞬間から
来年のハロウィンを待ちわびるほど
楽しみにしているので

コミュ障母、来年もがんばるおばけおばけ

胸ぐらを掴まれた時にとる行動【実父】



↓激しく育ったって、どれくらい?





父に胸ぐらを掴まれたらこうすると

決めていた事があった。



後ろに下がるな。前に出ろ炎



掴まれながら一歩距離を詰めると

当然父は逆上し

結果的に自分が不利になるのだが


どつかれようが殴られようが構わなかった。


私は思い通りにはならないと主張する事だけが

その時の私にとっては唯一の正義だった。


そもそも大の男に本気で来られたら

取っ組み合いすらさせてもらえないから

手加減はされていた。




「それは諸刃の剣だよ」と母は言った。

いいんだよ。それで。

父を傷つけられるならそれでいい。




でも、違ったよ。


本当は傷なんかひとつもつけてなかった。

私の攻撃は父には届かなかった。

いつも傷つくのは自分だけ。







↓父の話









殴られたくだらない理由No.1【実父】

綿棒のパック(100本くらい入ってる円柱型の)

間違えて逆さに置いたら顔を三発殴られた笑い泣き


逆さに置くと、持ち上げた時に蓋が外れて全部バラバラ散乱するアレです指差し


覚えてる中ではこれが一番くだらない笑







自分の気質

自分はかなり激しく育ってきたけど


暴言を吐いたり

大の男と取っ組み合ったり

ガラスが割れて流血したりしながら

常に負のエネルギーを放出してきたから


今なんとかぎりぎり範囲内(何の?)

取り繕えているような気がするわけで


もし飲み込んでひとりで抱え込むタイプだったら

私はとっくに発狂していたかもしれない



そう思うと

私が私を守ってくれてたわけで

この激しすぎる気質すらも愛おしく思えるように、、、、




、、、ならんっっムキー全く。




私は自分が壊れてもなくなってもいいから

人に優しくなれる人間でいたかった。








じゃあそうすればいいのに。

娘のチックが治った

最初に症状が出たのは

年少のタイミングで保育園を転園した時ショボーン


初めて大人数のクラスに入った娘は

「全員で歌うと声が大きくて怖い悲しい」と言い

さらに教室の蛍光灯が眩しくて

涙が出てしまうようだった泣


娘には若干の感覚過敏のようなものがあったが

当時の担任の先生は

「◯◯ちゃん(娘)て大人数が苦手ですよねキョロキョロ

と瞬時に気づいてくださり

先生の細やかな配慮のおかげもあり

チックはすぐに消失したほんわか



次に出たのは1年生の5月くらい。

何か困った事や嫌な事がないか聞いても

「全然何もない、楽し過ぎるおねがいおねがい」と。

クラス替えが寂しくて泣くくらい先生もお友達も大好きだったが

結局1年生の間じゅうチックは消えなかったガーン


本人は自覚出来ていないストレスや緊張状態が

チックとして現れているのだろうと判断した。

当時はマスク必須だったので

本人もまわりも気にならなかったのもよかったびっくりマーク




それが最近ふと気づいたら症状が消えているびっくり


苦手が多かった娘の身体が

ひとりで新しい環境に入って

本人が自覚はしていなくても適応する為に頑張って、チックを克服したのかキラキラ


当たり前なんだけど

子供は親の知らないところでも

一生懸命生きているのだなと泣くうさぎじーーん



みんな外で頑張っているのだから

家では恐怖政治やめるぞーー炎

がんばる筋肉