抗がん剤打ち止め | 笑顔が続く様に…

笑顔が続く様に…

2022年の6月67歳の母に膵臓癌見つかりました…いきなりステージ4と言われ目の前が真っ暗になりました
1年2ヶ月闘病し68歳で永眠しました。頑張った母と家族の記録です

いつもブログを読んで頂きありがとうございますニコニコ

昨年
母は整形外科に急遽入院になり
2022年6月18日に膵臓に影があると言われた日です

一年経ちました…

その後、消化器内科のある病院に回され造影MRI、超音波内視鏡下穿刺検査、 PETなどの検査をして7月12日に膵臓癌と診断されました

去年の今頃は、目にする景色が違う色に見え…
癌……今までテレビや周りで癌になったと聞くくらいだった事が、大切な母の身体に出来てしまい、私は毎日毎日泣いていました

母は食欲も変わらず、痛みもなく何も変わらなかったので診断されても中々、認める事、向き合う事が出来ず「私は癌じぁない」とずっと言っていました

今、振り返っても本当辛かった~ぁ

そして昨日
6月19日
病院から電話があり「先生からご家族に話があります」と連絡がありました
丁度旦那も旅行を計画をしていたので休みだった為、話を聞く日を昨日にしてもらいました

面会時間に母の病室に行くと、母はまだ吐き気があり、気持ち悪くて辛そうです
「夕べも吐いちゃって…パジャマ汚しちゃった…気持ち悪くて辛いよ…」と…前日も毛布にも吐いちゃって、新しい毛布を持ってきました
「新しいの持ってきたからね~パジャマも厚手の持ってきたよ~エアコン寒いね~」って話しました
「食欲とか全然出てこないの?食事は取れないよね…?」

「全然食べれない、りんごジュースとお茶だけは飲めてるよ」と
母の顔をずっと見ながら話していたら看護師さんが呼びにきて
母「看護師さんどうしたの?」と聞いてきたのでとっさに

「皮膚科で貰った床擦れの薬を看護師に渡して説明してくるね、また戻ってくるから」と言って部屋を後にしました。

移動すると先生がいて

先生
「いよいよ厳しい状況になってきました、検査したら腸閉塞になりかけていて…お腹に散らばった癌が腹膜炎を起こしている状態です!お母さんには抗がん剤は体力を奪われるから厳しいとは伝えましたが何処まで話していいか、話すことにより精神的にガクッてきてしまっても…と思いまして、これからは吐き気や、痛みも出るかもしれないので緩和病棟に行った方が色々緩和出来るかなぁと思いして」

「あの吐き気と言うのはずっと続くのでしょうか?」
先生
「今、腸を動かす様に点滴をして様子を見ていますが、動きすぎても辛いと思うので難しい所です、食べれなくても栄養と脱水は心配ないですがね、腫瘍マ―カ―も2週間でこんだけ上がってしまいました」と血液検査の結果を見せてくれました
本当に2週間前の数値より10000も増えています……

先生
「この状態で退院は難しいです!腸の具合がもう少し改善されたら一時退院も出来なくないと思いますが、また入院になってしまうと思いますね……今、緩和病棟が空いていなくて、空きが出たら移る様な形になるかなぁ?在宅で看取ると言う方も多いですが、そちらも含めて緩和の先生とも話して行く必要が早々にありますね」

先生
「在宅にする場合は訪問診療 、訪問看護を使ってやっていくって形ですね…ただ今の状態では帰せません」

「緩和にするか、在宅にするか今日決めないと難しいですか?」

先生
「今ではなくて良いです。ただ早々に方向は決めておいた方が、在宅医師の選定もあるのでね…痛みがでたら薬、麻薬なども使わなくてはいけなくなりますしね…
でもね、私も沢山、膵臓癌の患者さん見てますが○○さんの様に痛みもない、食欲もあって治療出来るって本当に少ないですよぉ~痛み止め飲んだ事もないでしょ~車椅子だけど普通に生活出来ていて、いつも診察でも元気だしね…初めて来た時は凄く悪い状態だったんですけど、頑張って治療して改善して~ただ仙台は1、2週間遅かったね…でも色んな所行ってたもんね…」

「仙台…少し遅かったですね…お気に入りの店のお寿司、食べさせてあげたかったです、難しいですね……膵臓癌って……でも先生の言うように制限は有りましたが普通に痛みなく生活出来たのは家族として本当に良かったと思ってます」

先生
「これから痛みが出てしまったら、薬を使って本人の苦痛だけは極力取って行きましょう…まだ頑張ってるからお母さん」

夫も私も頭が真っ白になってしまい……
この会話がやっとでした…

その後、気持ちを落ち着かせて母の部屋に行きました
「話してきたの?」
「薬の話ししてきたよ」
「今日ね先生4回もきてくれて、検査も午前中だと寝ていてキツイから午後にしてくれたりしたんだよ」

私「ありがたいね~看護師さんにも先生にも良く頼んで行くから我慢しないでナ―スコ―ル押すんだよ!着替えも頼んでおくよ~手が冷えてるね……また明日来るから」

「必要な物あったら連絡するよ、大丈夫だから私は!ありがとう~気を付けて帰ってね」
「また明日ね」と言って部屋を後にしました

看護師さんに着替えの件を頼んで帰ってきました



これまで何度も先生に呼ばれ、話を聞いてはどん底に突き落とされる…

母も治療を一生懸命やってきた…

抗がん剤の副作用で間質性肺炎になったり、抗がん剤が変わってからは血糖値が爆上がりしてインスリンを打つ様になり食べ物の制限があった…

パネル検査では遺伝子異常は見付からず使える薬はないと言われたり…

色んな事があった…

あんなに臆病で病院が怖かった母が毎週毎週通って抗がん剤をしてきた

本当に弱音を吐かず前向きに頑張ってきたんですよぉ

なのに何でですかね…

向き合って頑張ってるのに…

母の命はそんなに長くないみたいです…

辛いです

入院する前日に母が私に色々書いた物がタンスに入ってるから…と内容は手続き関連だと思いますが…

それをどんな気持ちで書いていたのかと考えると辛いです


母と私は母が足が悪くなってから親子関係が逆転しました

子供頃は母が私を全力で守ってくれて、足が悪くなってからは私が全力で母を守ってきました

なので友達にも珍しい親子関係と言われます

私は母の事を○○○ちゃんと呼びます。

母は本当に良い意味でも悪い意味でも裏表がない人、思った事を言葉にする人です
なので結構ヒヤヒヤする事もあり大変でしたが、それも必要な事って思います

母はわがままだと夫に言われ、そうさせたのは私と言われますが…
でも私も母にわがままさせて貰って育てて貰いました

これから親孝行だったのに…

本当に本当に癌め!
何で母の所にきたんだよ!
ふざけるなぁ!!母が何をした!

ムカつく!!!!

今日はメソメソしないでふざけるなぁ!精神で頑張ります

吐き気少しでも良くなって欲しいなぁ~

毎回まとまりのない文章です…
読んでくれてありがとうございます

今日も、がんばれー✊私!!