人介護&動物介護 / 自宅介護に正解はないと思う | ~I was happy days with you~

~I was happy days with you~

猫2匹(2023.11に1匹に。)と故母(通称ママ)との生活、ダイエット飯(消化不良な食べれない摂食障害の後遺症から大減量)と趣味のブログ。
趣味はアメ限が主。アメンバー申請は絡みが深くなってから承認させて貰います。

数年前の介護、食事や猫の事の、お1人様記録

介護に疲れ 疲弊して  苦しんでいる方へ

記事を読んで思う事を
私も記録します。



21年前。パパを病院で看取り介護し
会社員しながら見守りしていた。
ママは寂しい気持ちを埋める為に三毛猫を迎えました。私はまだパパの時と同じシフト勤務で会社員でした。365日の嘘みたいに有名企業。
週休二日制ですが2連休や土日休みとか大晦日や元旦もシフト勤務になれば出勤だった。

私が会社員を辞めるのは、もっとずっと後。
年齢はママは高齢者だった。
天真爛漫、ピュア、気の強さ、有名博識大学卒で
パパを亡くしてからもパパの職歴の関係で

私が産まれて安定し帰国した時から
国立の精神病院に通院、処方されながら
仕事もして悪化する鬱やらで寝たきりになる
日もありながら   私を育ててくれました。

父が亡くなった時  末期癌で
半年だけだけど病院で、オペ後は看取り介護に。
仕事も続けていたママ(病気は継続中)と
仕事を辞めなかった私達は半年で疲労はしました。

ママはパパの存命して頑張ってる事が辛く(痰の吸引やトイレやせん妄があるから交代でみます)発狂しそうに私にあたったり病室(個室とはいえ)で荒れた声をあげたりがありました。
兄や兄妻は頼れなかった。

意識なんてたまにしか正常にならないパパが
ママに「帰りなさい」と酸素マスクしながら小さい声で発しました。


ママとパパで2人の時間を少し過ごし
私とバトンタッチしました。
そして。パパは1ヶ月もしないで亡くなりました。

葬儀、相続、ママのメンタル、私の仕事、
凄く濃い半年の病院看取り介護から

数年後に、ママの見守りから要介護や本格的介護。プライドが高いからオムツは拒否でトレパンを切らさない、トレペが切れない様に
季節の服を買う、匂いや見た目も気にしてる様子があったから希望に沿うように
生活を共にしました。
パパの介護期に仕事をしていた事への後悔がぬけず
退職しました。私は、とっくに。
でも生活費、食費は毎月入れてました。
時間がタイトだった。
水分はトイレが億劫だから控えられて血栓で入院されました。

疲弊して喧嘩したり口論になったり
自分は覚悟をして自分のベッドに🔪を入れ眠り
運試しをした事が一度あります。
自分の身体を入院しない程度に大怪我させる
行為もしながらも

やはりママはパパの愛した人で
私を育ててくれて(私がきっかけで精神病院通いになったけど)私には愛する人なんだ。
と思え 気付け  
何年の2人生活か忘れてしまったけど
3年前に突然ママと別れる日が来ました。
予兆もなく 本当に突然。
最期の日になる朝に📱していて「明日の始発で帰るからね。食事してね手配してあるから(リクエストのお寿司)」   

それが最後の会話です。
膝が悪いからリビングにベッドを設置しました。枕元に灯りや水分軽量できるコップ。
ママは後期はベッド、トイレ、テーブルで📺を見る。私に言われ血栓の原因になった
水分を記録したり私が稼ぎに行く時に何をしていたかノートに書いて貰いました。

容態に、介護の状態は人それぞれだし
これは20年の猫でも家庭のそれぞれです。
私はブログに毎日を書いて、自分が摂食障害の後遺症を自覚してるから夕食だけは一緒に作って食べて貰う工夫をしたりしても
気に召さなかったり。。。

本当に大変だし、家庭や介護対象者の性格や環境(生い立ちから現在までの抱えてるだろうジレンマ)で
介護するレベルは変わるし近所だって頼れない。
未婚子なし、おひとりの介護でした。
それなりに大変で   最期が突然で別れられず
今でも、書いている今も
傷ついている部分もあります。

それがあったから老猫介護は自分がニート
ヒッキーな生活でも、限りがあるのが命だから
自分を削り   頑張りました。

自分以外の人達とブログを通じ知り合い
会ってはいないけど、リアな関係だったけど
会わないや外出を取りやめ毎日を家で過ごしました。


突然に介護が終わる時に、安堵するか後悔するかも
家庭や環境で人それぞれだと思います。

SOSが伝わる言葉に 今はメッセも出来ないですが
延命治療は ある日 突然に終わるのです。

自分だけが苦しんでる訳じゃなく
高齢者になって幼児かえりしたり気難しさがupして
当事者も実はジレンマで病んでいたりします。

「最近ね、娘に📺のチコちゃんみたいに怒られたり。私
歳をとってダメね」なんて    ぼんやりしていない時に
同級生に(ママの) 電話していたのを死後に
聞きました。

また後悔がわいてしまい
故に老猫の介護看取りは  出来る限りをしました。
でも、看取りの後   自分が疲弊して壊れるのが
わかるなら     使える行政関係は使ってください。
使えない環境だ。と諦めず相談に役所員を呼んで来て貰って とことん話して対応して貰える場を探してください。


ママが寝てる時にトイレの水音がウルサイ。
とママに言われ夜中は  成人女性が部屋でペットシートで
トイレをする姿とか   皆  色々な苦労はあるかと。

上手く言えないしフォローしてないけど遡った記事まで読み

伝わったらいいなと書いています。

大好きだったお母さんの姿に見えなくても
今の自分を育て、数年前まで自分と対峙してくれて
いた お母さんに変わりはないと思います。

自分が どう看取りたいか。骨を拾ってあげたいか。
後悔しないか。
辛さは残るけど   現状が辛いなら


自分自身を少しだけ労りながら
最後の親孝行になる介護なので、出来る範囲で
一緒に過ごしてあげて欲しいです。

正解はないです。