気まぐれブログから父の闘病日記 ~肺癌+癌性髄膜炎~

気まぐれブログから父の闘病日記 ~肺癌+癌性髄膜炎~

今までは気まぐれにブログをしていましたが
肺癌から癌性髄膜炎で亡くなった父のこと少しずつ思い出して記載していきたいとおもいます

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つい先日、父が大好きだった蕎麦屋さんにいった

そのお店と自宅は引っ越ししてからだいぶ離れたので

以前に比べて通う回数が減ったけれど

機会があるたびに訪れていた

 

父は27年近くそのお蕎麦屋さんに通っていて

大将の子供さん達の成長を私も一緒に見ていた

 

かなり久しぶりに行ったら

つい先日、どうしてるのかなって思ってたの

 

赤い車が止まる度に来てくれたのかな?と思ったり

お父さん、どうなの?

 

うん。亡くなったよ。

でも頑張ってくれたから・・・

 

といった

そのお店の大将も女将さんも小さい時から見ているし

何も言わずに、そうなんか・・・とだけ言って

ご飯を出してくれた

 

女将さんが、食べ終わったころを見計らって、お父さんは

ほんと、可愛がってたよ。いつもいつも話してて

あれが欲しい、あれがないと言われたら、可愛いから必死になって

探してはったよ~て教えてくれた

 

帰る時、お父さんにお供えしてねって

父が大好きだったざるそばを持って帰らせてくれた

 

父は、いろんな人に好かれて

いろんな人と仲良くして

亡くなったと聞けば、駆け付けてくれる人がいて

なんと幸せな人だったんだろうと改めて思った

 

 

 

 

四十九日と初盆がおわった。
それはそれは立派な胡蝶蘭が三人の方から別々にきて、ほかにもたくさんのお供えと、お花、  遺影がみえないほどのお供えにあふれ、父も誇らしかったことだろう。
喜ぶ姿が目にうかんだ

父が亡くなってから、はじめてホッとしたのか、この2日間はずっと寝ていた。
起床していたのは二時間ほどだ。

はじめて父の夢を見た。
ゴルフに連れていってくれと言っていた。
智海うちにいかなければならないな。


癌性髄膜炎って知っていますか

私はいまのネット社会でこの言葉があまり調べられなかったことにびっくりしました

癌性髄膜炎になると予後はとても悪い
私の父も最初に診断されたとき、平均値は2ー3ヶ月と言われた

だけど、父は癌性髄膜炎と言われてから1年も生きた
その間にゴルフもコースをまわれた

癌性髄膜炎
きっと症状は色々とあるのだと思う。
うちの父の症状が全てではない

だけど、いつか同じ病にぶちあったとき、
ブログをみて、こういうケースなんかもあるんやと思ってもらえたらいいなと今は考えています。
無事に四十九日が過ぎた

あっという間に毎日が終わっていって気がつけば朝を迎えている
そんな毎日である意味よかったのかもしれない
ゆっくり色々と思い出す時間が私には少なくてよかったのかもしれない

いま父は何をしているだろうか。
祖父母とお姉ちゃんに会っているかな。
先に逝った同級生に会ってお酒飲んでるかな
可愛がってた犬には会えたかな

パパが生きてきた証は四十九日にも表れていて
たくさんのお供えやたくさんのお花、鉢植えが送られてきました

とっても有り難いですが、もう家には入りませんよ?
お盆は待ってるからかえってきてね
パパが好きだったものなんか食べよう


時が過ぎて、葬儀に来てくださった方にお礼状を書いたり

四十九日の準備を頼んだり

手続きを終わらせていったり

もちろん意識がなくなってから休ませてもらっていた

会社にも出勤し始めた

 

ほっとする時間もそれほどなく

かといって慌ただしいのかと聞かれるとそうでもなく

毎日が何かしているうちに過ぎていく

そんな感覚だった

 

その日常にもなれ、友達と食事に行く機会があった

 

「大変やったね。お疲れ様」

「寂しくない?大丈夫?」

 

そう聞かれて思った

 

私、葬儀の時から一度も泣いてないし

悲しいと思ったことがない・・・・

 

なぜなんだろう・・・

確かに、父がいないことは感じている

 

闘病している間に、心の準備は出来ていて受け入れることが出来たのだろうか

それとも私は冷たいのだろうか

 

ずっとそう思っていた

 

だけど、ブログを書いて思った

 

自分の意志で父が亡くなったという事を忘れようとしていると

 

ブログを書く時、涙が出た

きっと思い出さないようにしようと無意識のうちに

頭にそう命じていたのかもしれない

 

パパ、寂しくないなんて言ったけど、やっぱり寂しい

そう心の底から思った