これまで文字は丁寧に書くということと、原稿用紙の使い方をしっかり覚えておくということについて述べてきました。
この二点を無視した小論文は内容以前に落とされる可能性大です。
文字を丁寧に書く、そして正しい原稿用紙の使い方をするというのは、いわば日常での最低限のマナー、エチケットのようなものです。人に何かしてもらったら「ありがとう」と言う、まぁそのくらい最低限なマナーなわけです。
そしてその程度のマナーやエチケットすら欠いている人間と、まともに付き合いたいと考える人がいないように、最低限の基本すらできていない小論文など、採点者はハナから読む気になれない、読んでもまともな点数はつけてくれない、というわけです。
と言うわけで、必ず上記二点は厳守してもらいたいものです。
さて、それでは今回は、少しだけ小論文の中身=内容に関することについて述べていきたいと思います。
一般的に、「小論文は内容が大事」と言われます。これは本当のことです(無論、今まで述べてきた最低限のこともできていない小論文は論外ですが…)。またこのブログを読んでくださっている方も、そう思っていることでしょう。
では、問います。
「中身=内容」って、何ですか?
こう問われてみて、明快にその「中身=内容」とはかくかくしかじかである、と答えられる人はそうそういないのではないでしょうか?
もっとも、中には「独創性のあるもの」が中身だ、という人もあるかもしれませんね。
けれども、それについて私ははっきり否定します。
私は、これまでに高校生の小論文を何枚となく添削してきましたが、「こいつぁすげぇや!!」などと思えた独創的な小論文には一度もお目にかかったことがないからです。
「そりゃ、あんたに見る目がないからだよ!!」と言われるかもしれませんね。確かにその通りなのかもしれません。案外、今まで見てきた小論文の中に、光るものがある小論文もあったのかもしれません。
しかしですね、飽きるほど高校生の書いた小論文を見てきたからこそ言えることもあるんですね。では「言えること」って何か。
それは、どんな受験者の小論文も、数パターンの解答しかないってことです。
「○○について論じよ」という小論文があったとしたら、そうですね、どんなに多くても10パターンくらいの解答しかないんですよ。嘘だと思うなら、いっぺん○研ゼミだとか○会の赤ペン先生のバイトでもしてごらんなさい。うんざりするほど納得できるはずですから(笑)。
分かり易く説明しましょう。
そもそも小論文っていうのは、必ずお題があるわけです。そしてそのお題について論じていかなければならない。これはつまり、はじめから受験者をある枠の中に閉じ込めてしまうわけですね。「このお題の枠内でモノを言え」と。まぁ、出題者は受験者をあらかじめ檻に閉じ込めるわけですね。
ここでひとつ良く考えてみましょう。
小論文の受験者はこの出題者の好みで作られた(?)檻の中で何事かを述べていかなければならないわけですから、当然受験者は、受験者本来の独創性を思うがまま発揮できるなんてことはありえないわけですね。だせたとしても、このお題という檻の中で発揮できる独創性なんてたかがしれてるわけです。
もっとはっきり言ってしまうと、お題という枠組の中で発揮したはずの個性や独創性なんて言うのは、概ね他人の誰かとそっくりになる、ということです。そして他人の誰かとそっくりな個性や独創性なんて、もう独創的でも何でもない。ただの類型なわけです。そしてその類型がパターンとなるわけです。
だから小論文の中身とは「独創性のあるものだ」なんてな主張を私は否定するわけです。
それでも、「自分の書いた小論文は独創的なはずだ!」と強弁する人もいるでしょう。そんな人には、「隣の受験生の書いてる小論文を見てみたら? カンニングになるけど」といっておいたら良いわけです。
他人の書いてる小論文を見ることができないから、自分の書いたものを独創性のあるものだと思い込む。小論文っていうのは、なかなかヒドイ受験科目かもしれません。
そして、概ねこのことに自覚的な受験者は、合格点の小論文を書き上げてきます。
こう言っても納得されない人もいるかもしれませんね。世の中色々ですから(笑)。
では、こういう説明はどうでしょうか。
話しが簡単になるので、大学受験の小論文を例にあげてみますね。
大学受験の小論文の出題者は、大学の教員ですね。
さて、その大学教員が自分の専門分野に関連するようなお題を出題したとしましょう。その時あなたは「独創的な小論文」を書ける自信はありますか?
そもそも大学教員は、その道のプロです(怪しい大学教員もいますがね)。ですから、いわゆる自分の専門分野に関してはそれこそ膨大な知識を有しています。それは多分、高校生の想像をはるかに上回る知識です。そんな人に、あなたが「独創的だ」と思える小論文を提出したとしてごらんなさい。恐らく相手は、こう返してくるはずです「ツマラン、お前の話しはツマラン!!(←古っ)」と。
それもそのはずです。相手はその道のプロ。したがって、たいていの「独創的」と本人が思い込んでいる内容は、相手にとっては昔どこかで読んだ話だったり、あるいは膨大な知識から「それは○○という事実からありえない話だ」とあっさり否定される類のものなのですね。ですから、独創性なんてのは、なかなかありえない話しであるんです。自分自身がはじめて言ったはずの独創的な意見も、実はすでに誰かが言っているものなんです。
もう一つ二つ、小論文の中身が独創性なんてことはありえない理由を述べましょう。
小論文は概ね、800字とか1000字、1200字なんてのが多いでしょう。たったそれだけの字数でですね、どうやって個性や独創性なんてのを出す余地があんのか、と。
そして、そんなに小論文が独創性に満ち溢れたものばっかりだったら、採点する側は困るんだよ!! という、身も蓋も無い根拠があります(笑)。もっともこれは、そうならないように、しっかり受験生が類型化されざるを得ないような出題するわけですがね(笑)
えー、次回もこの中身について書いていきます。
次回はもう少し、中身そのものについて詳しく書くよう努力しますです、はい…orz