えー、ある程度小論文を書きなれた人にとって、新聞社説の要約はどうして害になるのか、前回は述べないまま終わってしまいました。


簡単に説明します(最近忙しいのです、読んでくださっている方、すみません…)。

小論文を書きなれた人にとって、社説は、あまりに一般的にすぎるから、というのが理由です。


新聞というものの性格にこれは由来します。新聞が相手にするのは、不特定多数の読者です。

対して小論文を読むのは、学者であり、その道のプロなわけです。読む相手が違うわけです。

小論文を出題する側は、相手が一般的な知識と、マスコミで示された情報程度の知識は共有している

という前提で出題しています。それなのに、あらためて新聞社説のようなことを書かれても、

出題者としては「もっと突っ込んで考えてほしいんだけど…」ということになりかねないわけです。

したがって、社説はある程度書きなれた人にとっては、無駄な修練にもなりかねない要素があります。

社説のように簡潔な表現を心がけることは大切ですが、だからといって一般的な意見では小論文は合格点には達しないのです。


ただし、書きなれた人も学者の寄稿には目を通しましょう。ここには、その道のプロならではの知見が分かり易く示されていることが多いのです。受験者が目指す分野に関する寄稿であれば、それはしっかり読んでおくと良いでしょう。必ず小論文作成の際にも役立つはずです。

ずいぶん長い間、放置してしまいました。

今回は良く言われている「新聞社説の要約は小論文の練習になるのかどうか」ということについてです。


結論から言うと、まるっきり小論文対策をしてこなかった人には有効だが、そうでない人にとっては害のほうが大きい、ということになるのではないかと思います。


まず、まるで小論文対策をしていなかった人にとって新聞社説がどうして有効なのかについて述べます。

対策してこなかった人は、小論文をどうしても作文の延長程度にしか考えていないということがあります。つまり、自分の考えを論理的に運用していくのではなく、感情的・感覚的に述べてしまうという傾向があるわけです。

そういった意識を、社説要約という行為の中で次第に改めていく、そのための社説要約であれば、社説要約はそれなりの効果が期待できるわけです。また多少なりとも論の進め方はどうすると良いかを、感覚的に覚えることもできるわけです。


ところが、それなりに小論文対策をしてきた人にとっては、社説要約はむしろ害になるのですね。


このことについて詳しく述べていきたいところですが、ちと所用ありです。続きは次回に。


えー、前回、小論文はどうしたってお題の存在する限り類型化される、という事にについて書かせていただきました。だから独創性=中身じゃないんだよって話しでした。


今回はその話の続きです。

では、中身のある小論文とは何になるのでしょう?


簡単に言います。それは


破綻のない小論文


これが中身のある小論文、なんですね。


ものすごく簡単に思えるでしょう? 実際簡単なんですよ、小論文って。

しかし、これがいざやってみると実に難しいわけです。


小論文の試験というのは、概ね800字から1200字程度でしょう。それを1時間程度で書くわけですが、実際これは日頃から書くことに慣れている人でなければ、到底、論理的に破綻のない小論文を書くことなんてできやしないんですね。


実を言えば、高校生、受験生の知識の総量なんてたかがしれています。その知識の総量は、いわゆる進学校の生徒さんも、非進学校の生徒さんもたいして変わりません。もちろん、五教科の学力っていうことに関しては別ですよ。それは進学校の生徒さんのほうが優秀でしょう。(しかし、大学の教員から見たら、それは団栗の背比べに等しいんです)


しかし、そういうことではなく、同時代に生きる者としてテレビや雑誌、新聞で得る知識、人や学校、社会との関わりの中で得られた世界観なんてのは、まるで差がないわけです。


例えば、某有名進学校のA君と、非進学校のB君に、同じお題で小論文を書かせたとしましょう。お題は分かり易ければ分かり易いほどイイですから、そうですね、まぁ、「平和について」とでも言ったお題が出たとしましょうか。(本当は、もっと込み入ったお題のほうが、良いんですけど)また二人とも、特に小論文を書くために勉強したわけではないとしましょう。


さて、1時間後、二人の小論文が提出されたとします。

で、二人の小論文を、いわゆる独創性などといった点から採点すれば、殆ど差はないんですね。それは先ほどまで述べてきたことからすれば当然の帰結です。出題者側が、類型化できるよう、彼らの個性や独創性を一方向に流れるように操作したんですから。それに大きく見れば知性に差はないし。


でも、この二人のどちらかの小論文を合格としなければなりません。その時、採点者はどちらを取るか、そしてどちらを独創性のあるものとみなすでしょうか。


それは、論理的に意見を運用しているほうの小論文なんです。

そして、ここが大事なんですが、小論文では、その論理の運びをこそ独創性と呼び、中身というのですね。

同じ主張をしていたとしたとしても、その論の運びにこそ、採点者は注目するのです。


論理的破綻なく、自分の意見を述べられている。これが、小論文の中身=内容なのですね。


ですから、小論文は文章のうまい人が合格するわけでもなければ、いわゆる独創的な意見が述べられる人が合格するわけでもありません。論の運びに破綻のない人こそ合格するんです。


そして大学側がそのような人を合格させるのは当然のことなんです。なぜなら、大学で必要とされるのはその論理能力だからです。


論を破綻なく運用していくというのは、かなりの練習を必要とします。たかだか一ヶ月二ヶ月で身につく技術ではありません。実際、自分たちの会話を意識して聞いてみたり、思い出したりしてみてください。いかに我々が、論理的にモノを書いたり話したりしていないかが分かるはずです。

これまで文字は丁寧に書くということと、原稿用紙の使い方をしっかり覚えておくということについて述べてきました。

この二点を無視した小論文は内容以前に落とされる可能性大です。


文字を丁寧に書く、そして正しい原稿用紙の使い方をするというのは、いわば日常での最低限のマナー、エチケットのようなものです。人に何かしてもらったら「ありがとう」と言う、まぁそのくらい最低限なマナーなわけです。

そしてその程度のマナーやエチケットすら欠いている人間と、まともに付き合いたいと考える人がいないように、最低限の基本すらできていない小論文など、採点者はハナから読む気になれない、読んでもまともな点数はつけてくれない、というわけです。


と言うわけで、必ず上記二点は厳守してもらいたいものです。


さて、それでは今回は、少しだけ小論文の中身=内容に関することについて述べていきたいと思います。


一般的に、「小論文は内容が大事」と言われます。これは本当のことです(無論、今まで述べてきた最低限のこともできていない小論文は論外ですが…)。またこのブログを読んでくださっている方も、そう思っていることでしょう。


では、問います。


「中身=内容」って、何ですか?


こう問われてみて、明快にその「中身=内容」とはかくかくしかじかである、と答えられる人はそうそういないのではないでしょうか?


もっとも、中には「独創性のあるもの」が中身だ、という人もあるかもしれませんね。

けれども、それについて私ははっきり否定します


私は、これまでに高校生の小論文を何枚となく添削してきましたが「こいつぁすげぇや!!」などと思えた独創的な小論文には一度もお目にかかったことがないからです


「そりゃ、あんたに見る目がないからだよ!!」と言われるかもしれませんね。確かにその通りなのかもしれません。案外、今まで見てきた小論文の中に、光るものがある小論文もあったのかもしれません。


しかしですね、飽きるほど高校生の書いた小論文を見てきたからこそ言えることもあるんですね。では「言えること」って何か。

それは、どんな受験者の小論文も、数パターンの解答しかないってことです。


「○○について論じよ」という小論文があったとしたら、そうですね、どんなに多くても10パターンくらいの解答しかないんですよ。嘘だと思うなら、いっぺん○研ゼミだとか○会の赤ペン先生のバイトでもしてごらんなさい。うんざりするほど納得できるはずですから(笑)。


分かり易く説明しましょう。


そもそも小論文っていうのは、必ずお題があるわけです。そしてそのお題について論じていかなければならない。これはつまり、はじめから受験者をある枠の中に閉じ込めてしまうわけですね。「このお題の枠内でモノを言え」と。まぁ、出題者は受験者をあらかじめ檻に閉じ込めるわけですね。


ここでひとつ良く考えてみましょう。


小論文の受験者はこの出題者の好みで作られた(?)檻の中で何事かを述べていかなければならないわけですから、当然受験者は、受験者本来の独創性を思うがまま発揮できるなんてことはありえないわけですね。だせたとしても、このお題という檻の中で発揮できる独創性なんてたかがしれてるわけです。


もっとはっきり言ってしまうと、お題という枠組の中で発揮したはずの個性や独創性なんて言うのは、概ね他人の誰かとそっくりになる、ということです。そして他人の誰かとそっくりな個性や独創性なんて、もう独創的でも何でもない。ただの類型なわけです。そしてその類型がパターンとなるわけです。

だから小論文の中身とは「独創性のあるものだ」なんてな主張を私は否定するわけです。


それでも、「自分の書いた小論文は独創的なはずだ!」と強弁する人もいるでしょう。そんな人には、「隣の受験生の書いてる小論文を見てみたら? カンニングになるけど」といっておいたら良いわけです。

他人の書いてる小論文を見ることができないから、自分の書いたものを独創性のあるものだと思い込む。小論文っていうのは、なかなかヒドイ受験科目かもしれません。

そして、概ねこのことに自覚的な受験者は、合格点の小論文を書き上げてきます


こう言っても納得されない人もいるかもしれませんね。世の中色々ですから(笑)。

では、こういう説明はどうでしょうか。


話しが簡単になるので、大学受験の小論文を例にあげてみますね。

大学受験の小論文の出題者は、大学の教員ですね。

さて、その大学教員が自分の専門分野に関連するようなお題を出題したとしましょう。その時あなたは「独創的な小論文」を書ける自信はありますか? 


そもそも大学教員は、その道のプロです(怪しい大学教員もいますがね)。ですから、いわゆる自分の専門分野に関してはそれこそ膨大な知識を有しています。それは多分、高校生の想像をはるかに上回る知識です。そんな人に、あなたが「独創的だ」と思える小論文を提出したとしてごらんなさい。恐らく相手は、こう返してくるはずです「ツマラン、お前の話しはツマラン!!(←古っ)」と。


それもそのはずです。相手はその道のプロ。したがって、たいていの「独創的」と本人が思い込んでいる内容は、相手にとっては昔どこかで読んだ話だったり、あるいは膨大な知識から「それは○○という事実からありえない話だ」とあっさり否定される類のものなのですね。ですから、独創性なんてのは、なかなかありえない話しであるんです。自分自身がはじめて言ったはずの独創的な意見も、実はすでに誰かが言っているものなんです


もう一つ二つ、小論文の中身が独創性なんてことはありえない理由を述べましょう。


小論文は概ね、800字とか1000字、1200字なんてのが多いでしょう。たったそれだけの字数でですね、どうやって個性や独創性なんてのを出す余地があんのか、と。


そして、そんなに小論文が独創性に満ち溢れたものばっかりだったら、採点する側は困るんだよ!! という、身も蓋も無い根拠があります(笑)。もっともこれは、そうならないように、しっかり受験生が類型化されざるを得ないような出題するわけですがね(笑)


えー、次回もこの中身について書いていきます。

次回はもう少し、中身そのものについて詳しく書くよう努力しますです、はい…orz







では、先日のクイズの答えです。


①書き出し、段落を改める際には1マスあける必要がありますか?


:当然必要ですね。しかし、そんな単純な約束事を忘れてしまっている受験生は多い…。



②英単語を書く場合、マス目はどう使用するのが正しいですか?


アルファベットは1マスに2字ずつ書のが基本です。



③算用数字を書く場合は、どうマス目を使用するのが正しいですか?


算用数字は1マスに二桁ずつ書くのが基本です。ただし、縦書き小論文の場合は、漢数字で書くのが基本ですから、その場合は当然、1マスに1文字ずつ書きます。



④小論文での会話文は、改行する必要がありますか?


:改行する必要はありません



⑤括弧(「」)と二重括弧(『』)の使用の違いは何でしょうか?


:「」は概ね会話文や何かからの引用の際に用いられます。『』は書名や「」内での会話文や引用の際に用いられます。



⑥「?」「!」といった記号を使用した際は、何に注意しなければなりませんか?


:「?」「!」といった記号を使用したら、次のマス目はあけることが必要です。



⑦「人々」「次々」といった「々」(踊り字)が行頭に来てしまったら、どうしなければなりませんか?


:踊り字「々」は行頭には使用できません。したがって、「人々」なら「人人」、「次々」は「次次」と書きます。



⑧句読点や閉じ括弧は行頭に置いても良いですか?


:行頭に句読点や閉じ括弧はおきません。前の行の最後のマス目に同居させます。



さて、次回もまた小論文について知っておいてもらいたい基本的なことについて書いていきます。



前回は「文字は丁寧に書く」ということについて書きました。

今回は、「原稿用紙の基本的な使い方を覚えておく」ということについて書きます。

原稿用紙の基本的な使い方を分かっていない人は、実に多いのです。

いくつか問題を出してみましょう。


①書き出し、段落を改める際には1マスあける必要がありますか?


②英単語を書く場合、マス目はどう使用するのが正しいですか?


③算用数字を書く場合は、どうマス目を使用するのが正しいですか?


④小論文での会話文は、改行する必要がありますか?


⑤括弧(「」)と二重括弧(『』)の使用の違いは何でしょうか?


⑥「?」「!」といった記号を使用した際は、何に注意しなければなりませんか?


⑦「人々」「次々」といった「々」(踊り字)が行頭に来てしまったら、どうしなければなりませんか?


⑧句読点や閉じ括弧は行頭に置いても良いですか?


①⑤⑧は比較的知っている人は多いでしょう。

しかし、それ以外の問題に自信を持って答えられる人は少ないのではないでしょうか?


こういった基本的な原稿用紙の使い方を知らない場合、小論文を書きなれていないことが採点者にバレバレになってしまいます。書きなれていない=採点者にみくびられるということです。

内容以前に、こんなことで採点者の印象を悪くしてしまうのはバカバカしいですよね? だから必ずここで挙げられた問題には、きちんと答えられるようにしておきたいものです。


問題の答えは次回のブログで。





今日は小論文の基本について書いていきます。


小論文で一番重要なことは何かと言いますと、


自分が読むものではなく、他人が読むものである


ということです。

「当たり前だろ!!」と言う方がいるかもしれません。確かに当たり前のことです。

しかし、この当たり前のことを分かっていない人は非常に多いのです。


そのことが分かっているかどうかの一基準は「文字が丁寧に書かれてあるかどうか」ということです。

文字が丁寧に書かれていないということは、他人が読むということを前提していないということなのです。

そういった答案を、採点者がきちんと読もうはずはないし、そのような義理もないのです。

また小論文の採点者は、短時間・短期間に何十枚、何百枚もの小論文を採点します。一人一人の答案を、穴のあくほど丁寧に読むということはまずありえませんアカの他人の文章をそこまで誠実に読もうとする奇特な人はいないのです。


「小論文は内容が大事だ」という意見があります。それは確かにその通りです。しかし、先にも述べたとおり、採点者は短時間で答案内容を読み取らねばなりません。一つの答案採点にかけられる時間はたかがしれています。

ですから、乱雑な文字で書かれてある答案は、文字解読にそれだけ無駄な時間を割かせてしまうことになるわけですから、当然内容も十分に汲んでもらえなくなるということになります。


採点者も人間ですから、いわゆる偏見というものがあります。何十枚もの答案を採点していれば、ストレスもたまります。そうなると、「乱雑な文字で書いている奴の答案なんかに、まともなものがあるわけない」と見做されてしまう場合だって十分にありうるのです。


文字を美しく書け、といっているわけではありません。他人が読める、丁寧な文字を書くということが大切なのです。いくら美しい字でも、行書体や草書体で書かれたら、やはり判読に時間を割くことになってしまいますからね。


「丁寧な文字は、本試験の時だけにすれば良い」と考えないほうが良いでしょう。丁寧な字を書くというのは、案外骨の折れることです。常に丁寧な字を書くことを心がけておいたほうが、当然本試験でも早く、丁寧な字が書けるようになります。また丁寧な字を書き続けていると、自然と漢字の間違いなどにも敏感になっていきます。漢字の間違いは、採点者に一番笑われるものだということは、覚えておくと良いでしょう。


次回も小論文の基本について書いていきます。




だいぶ長い間、このブログ放置しておりましたw


じーっとご質問の来る日を待っていたりなんかしたんですけど、結局まるで来なかったっすorz


そこでですね、そろそろ新しいネタでもやろうと。


考えた末、まぁ、小論文の書き方や考え方について、僕の知ってることここで公開してこうじゃないかと。


受験~昇進試験にまで、それなりに役立つ情報をせっせこ述べていこうじゃないかと思ってますです、ハイ。


と、いうわけで今後ともよろしくお願いいたしますです。


記事作成です。


今日は実家から、地鶏の炭火焼(真空パックされたもの)が送られてきました。


私の実家は宮崎なんですが、宮崎の郷土料理って、結構おいしいものが多いんです。


チキン南蛮、地鶏の叩き、地鶏の炭火焼、レタス巻き、飫肥天などなど。


一度是非食べてもらいたいものです。


ちなみに、東京では「みやこんじょ」というお店で食べられます。

新宿に出かけたときは、寄ってみてください。

更新です。


とはいえ、何を書くか決めてない…orz


減量のことでも書こうかなぁ、なんて思ったりもしたんですが、

私の知っていることはたいてい書きましたからねぇ…。


本当に真剣に、役立つ情報を書き込んでいかないと、このブログ、ますます

過疎化していきそう…(汗)