一休は「頓知話」で知られる室町時代の名僧です。

自由奔放な生き方で知られ、また、禅の境地を示す独特の詩句を多く残しました。
 
その一休は、死期が迫ったとき、弟子たちにこう言ったことがありました。

 
「自分が死んだ後、どうにもならない困った事態が起きたら、この遺言状を読むように。

 それまでは絶対に遺言状を開けてはならない」

 やがて、彼の死後、数年経って非常に困った事態が起きました。

一休の再興した寺が、朝廷によって取り壊されそうになったのです。

そこで、弟子たちが遺言状を開いたところ、そこにはこう書かれていました。


 「大丈夫、心配するな。何とかなる」


すると間もなく、本当に事態が好転しました。

弟子たちが懸命に朝廷に願い出たところ、なんと朝廷が寺の取り壊しを撤回したのです。
 
一休のいうように、心配することはないのです。何とかなるものなのです。

言い換えると、神様は乗り越えられない試練を私たちに与えたりしないのです。

大変なように見えても、ほとんどは、その人が解決できる試練なのです。

ですから、就職先が決まらないとか、子どもの成績が上がらないからとかで、

落ち込むことはないのです。たいていは何とかなるものなのです。



p22乗り越えられない試練はない。

心のルネッサンス名僧101の名言

植西聰
邪心に野心に下心、

損得勘定あってもよろし。

どんなに良いこと知ってはいても、

やらねば何も、知らぬと同じ。

臨時収入が欲しいから、という理由でトイレ掃除を続けることはできるでしょう。

しかし、人格論として「立派な人になりなさい」とか「トイレ掃除ができるような人になりな

さい」と言われても続かないものです。

どうも、人間はそういう立派な構造にはできていないらしい。
 
邪心や下心がまったくない人というのは神の領域ですから、肉体を与えられていません。

肉体を持っているということは、まだ人間としてのさまざまな体験をしたい、という

ことですから、損得勘定でやっていくのはとても自然なことだと思います。

トイレ掃除も「ありがとう」を言うことも、損得勘定でやると続くのです。

初めは自分の「得」のためにやっていたことが、実は「徳」を積んでいることになり、

その結果、自分に「得」となって返ってくる。面白い現象があまりにも多く起こるので、

引き続きやりたくて仕方がなくなる!どのような分野でも、

人に喜ばれるような生き方というのは、損得勘定で考えればすべて「得」に

なっているようです。

どんなに下心や野心があったとしても、実際にそれをやった人を実践者と言います。

100%の美しい心でやっていこうと考えなくてもいいですから、ぜひ自分のために、

究極の損得勘定ができる、究極の欲深い人になってください。

p116-117
宇宙を解説・百言葉
弘園社
以前、お盆休み初日にプール膨らませるのに

30分かかった代償に右足ガタガタと書きましたが

なんとΣ(゚д゚lll)

本日病院で診察受けた結果

筋肉断裂(肉離れ)と診断されました^^;

どんだけ運動不足なんやねん!!!と

自分につっこみをいれつつ

お医者様には松葉杖を使いなさいと言われつつも

気合で乗り切ります!!

と意地はってつっぱねました叫び

さ、明日も顔晴っていきますか~チョキ