「砥石」は、実は、大別して三つの分野が存在するようです。

一つは「家族と家庭」

夫婦も子供も同居の家族も、全て「砥石」なのです。
 
そしてもう一つは「仕事」。

仕事も、人格を磨くための砥石にほかなりません。

どんなに仕事ができても、優秀な技術を持っていても、

「人格」が荒れている場合は「何のために仕事が存在するのか」を誤解しています。

仕事を通して「どんなときでもイライラしない、怒らない、腹を立てない」ことを、魂は求めているようです。

人の上に立てば立つほど、です。

そして、もう一つは、他の全ての人間関係、交友関係。

「それでは、生活の全てではないか」と言われそうです。
 
答えはイエス。
 
私たちは、全ての日常生活で「いかにイライラしないか、笑顔でいられるか」を問われているようです。

「怒ってもいい状況」は存在せず、「怒らせる人がいる」わけでもありません。

本当は笑顔で解決することができるのに、

「面倒だから」「簡単だから」とりあえず怒って解決、という道を選んでいるのかもしれません。

全ての日常生活が「私」を磨く砥石なのです・・


こころの宝島
P152-153
小林正観
弘園社
結婚する気にならない、したくない、という人に対し、私はよく、こう話してきました。

「魂のことを研究していくと、一般的に言われている「結婚」はゴールインというのは、どうも全く正反対のようです。

結婚は、人格磨きの「スタート」なのであって、夫や妻を得たというのは、砥石を一つ手に入れたということにほかなりません。

義父や義母との同居となれば、砥石を一度に三つ手に入れたということであり、

子供が一人生まれたら、砥石をもう一つ増やしたということになります。

もちろん、結婚は、相手にとっての砥石でもあります。

ですから、どちらかが一方的に、研ぐ方と研がれる方に分かれるわけではなく、相互に磨きあう、研ぎあう、という関係になっているようです。


逆に、結婚をしない人というのは「結婚をしないでよい」と神様から言われている人なのかもしれません。

自我が強い人ほど、結婚をし、子供が生まれ、同居の数が多いということになっているようです。

結婚をしないですむようなら、それは「あなたの人格はそのままでよいから、結婚生活で使うであろうエネルギーを、世のため人のために使いなさい」と言われているに違いありません。

結婚、結婚と考えずに、自分のエネルギーの余力を何にどう使うかを、ぜひ考えてください」

こころの宝島
P148
小林正観
弘園社
結婚を「ゴールイン」と呼ぶ場合がありますが、多くの人が言うように、結婚は「ゴールイン」ではなく「スタート」であるように思います。

結婚とは「夫という名の砥石」あるいは「妻という名の砥石」を手に入れたということではないでしょうか。


夫婦という名の「共同生活」は、食べものの甘い、辛いという感覚さえ、全く同じということはありません。

気温が25度のとき、それを「暑い」と思う場合も「寒い」という場合も「快適だ」と思う場合もあります。

それらの一つ一つを「折り合いをつける」ことが「共同生活」である結婚ということにほかなりません。


独身のときは、自分の「甘い」「辛い」は問題にはならず、「暑い」「寒い」も問題にはなりませんでした。


しかし、それらの個人的な感覚を、そのままでなく、少しづつ修正して相手の側に近づけるという作業が「共同生活」には必要になってきます。

「砥石」が一つできたことで、「私」という人格は、間違いなく磨かれます。

「わがまま」で「自己中心的」であった性格が、少しづつ修正されて、マイルドでやわらかなものになります。

少しづつ修正されることを「歩み寄る」という言葉で表現する場合もあります・・


こころの宝島-知って楽しい日々の智恵-
P148
小林正観
弘園社