熊本市水道町に存在する熊本大学付属医院。 暫くの期間 この施設で生活していた。今は亡き父親の闘病の為であった。当時父親39歳…。36歳で難病を発症してから3度目の夏だった。 談話室という部屋で寝泊まりして次への展開を待つだけの選択肢を持たぬ日々は夜の街に飛び出す理由として有り余る程充分なものだったし、退屈を持て余す知恵や工夫など未知の世界の前では何一つすら解決は出来ない 要は誘惑に勝てる強い魂を俺は一寸も所持してないと言うこと。それは当時も現在も変わらない。本能に忠実に従って生きていると解釈すれば巷で評判の片膝付いたロックンローラーみたいだな。でも田舎育ちの冒険者にとって、医院の高層から見下ろす繁華街のネオンは眩し過ぎた。天草のキャバレ街のそれとは比べ物にならないんだからな。この風景のこの夜にこの瞬間に共存している人々のドラマを想像する行為だけで胸騒ぎに似た感情がグツグツと沸騰し始める。もう限界だ…! エレベーターに飛び乗りヒューイっと一階のロビーまで急降下。外部とつながる出入り口を見つけるには時間は要らない。盲点を見つけ出すのは得意なのさ。先ずは慎重に行動を開始しなければならない。救急用出入り口を抜け出してグリーンフェンスを飛び越えて隣りの公園へジャンプする。白川に架かった橋を渡り切れば すぐに夜の街へと合流完了だ。興奮状態の火照った身体に川から吹いてくる風が心地良い。さあ、もう迷いは無い。俺物語の1ページ目スタート!って もう病院は退院してしまったし当初の目的、「退院するまでの夜のおかず」では無くなってしまったが 自己満足のゴールまでボチボチ記す事にしよう。ありふれた金曜日は明けて土曜日の光がカ一テンの隙間から差し込んできた。
いよいよ本日の午前中に退院となった。このベッドにも身体が順応して当初はストレスの原因の一つだったにも関わらず今では「座って半畳 寝て一城」の舞台である。だが本日より又社会との戦闘が再開される。24日間の入院生活は少なくとも俺の根本的なブレを縮小してくれた。病状に関しても7割程は好転した。ちょっとばかり早い夏休みだったが貴重な時間だった。N整形外科よ短い期間ではあったが、ありがとうございました。
俺の育った田舎街の一角にも眠らない街が在った。五才からホステスの母親と出勤して朝方までの時間を衣装室兼休憩室みたいな部屋で生活していた。夕食を母親と弟と3人で済ませると純白のドレスと金髪を武器に店内へと向かう母親の後ろ姿は消えていく。 その頃 通っていた幼稚園で外国人の女性の集団を街中で見掛けるという噂が流れていたが、実は俺の母親と連れのホステス三人衆だと 幼いながらに気付いていた。しかし外国人といっても後ろ姿だけ。今でこそ金髪は珍しくもないが当時は周囲の視線は心地悪かった。時代の先読みにしては余りにもバランスの悪い容姿であった。 朝から雨が降っていたらいつもの隠れ家は中止となる。キャバレ街のテナントの一つに少しタイミングの遅れたゲーム喫茶がオ一プンした。そこへ店主の息子と落ち合い向かうのである。合い鍵というアイテムを手に入れた二人は無敵である。誰にも目撃されずに店内に侵入すれば そこはハ一レム。しかし危機一髪のスリルと背中合わせ たまらない一時だった。生憎二週間ほどで相棒の親父の踏み込みで あえなく御用となりみっちり絞られた。でも俺にとって人生最初の快楽として脳裏に焼き付いている。しばらくして その店は無くなってしまい、相棒もこの街から姿を消した。その直後に、ある事情でバタバタと俺も家族と共に天草の街を後にした。