バルコニーのお客様「イソヒヨドリ」観察日記、その5。
小皿に「カッパえびせん」を入れておくと、30分も経たずに完食すること。あいにく切らしてしまったとき、代替のえび味せんべいを補充したところ、そのほとんどを小皿の周りに散乱させて。
「こんなもの食えるか。いつものえびせん出せ!」とばかりに示威行動されたこと、以前記事にしましたが。
今回は「かっぱえびせん」と同じ形状の「カレーせんべい」、半々に混ぜて出してみました。
途中経過をみると「かっぱえびせん」は完食して「カレーせんべい」だけが残っていて。それでも最終的には小皿は「すっからかん」に。
自宅立ち寄る イソヒヨドリは 好きなものから 口にして
思いがけずも朝から「都々逸」詠んでしまいました(笑)。
本題に戻って「伊勢原市内周遊」。
前回は「伊勢原大神宮」まででした。大神宮から伊勢原駅へと向かう道なりに
見えてくるのが「大山参詣 一の鳥居」。
前々回訪れた「片町不動尊」から古道「田村通り 大山道」を辿っています。田村通りは名勝地・江ノ島と直結している古道。
江戸からの大山詣りの人々は、行きは最短ルート「矢倉沢往還(現在の国道246号線)」を辿り、帰り路はこの田村通りを使うことが多かったのだそうです。
というのも「精進落とし」と称し、藤沢・江ノ島あたりで破目を外していたのだとか。
あくまでもメインの目的は大山まいり。ですが、実質的には精進落としの楽しみがまさっていたようですね。
ところで「一の鳥居」。
この鳥居は「小田急線 伊勢原駅」開業にあわせて新たに設置されたものだそうです。つまり、東海道と田村通り大山道の分岐点・藤沢宿に今も遺されているものが、本来の一の鳥居なのだとか。
伊勢原駅 北口
古道「田村通り 大山道」は小田急線ホームに寸断されてしまい、この区間は迂回を余儀なくされて。
交通手段の発達により、このような紆余曲折も生じるんですね。逆にいえば、そうであるからこその古道歩きの楽しみでもありますが。
次回も伊勢原駅近辺にとどまり、明治時代の主力参詣道「矢崎通り 大山道」の道筋を辿ります。