先週金曜日のこと。
友人Rさんのマイカーにピックアップさせていただきました。車内に流れる音楽が「アナ雪」。
少しでも涼しくなればと思って、との心配り。ただただ感謝です。
本題「糟屋道」に戻って。
前回は、県立厚木高校の高台から急坂「座頭ころがし」を下ったところまででした。
坂を下り終えてからわずかに進むと見えてくるのが「高札場跡」石碑。
ブログ記事でも繰り返し採り上げていますが、現厚木市中心街は「下野國 烏山藩」飛地領でした。
この高札場も「烏山藩」の管理下におかれていたとの記載があって。
小田急線「本厚木駅」近く、相模川河畔には「烏山藩 厚木役所跡」石碑が遺されています。
私ごとになりますが、未だに栃木県烏山市。残念なことに一度も訪れたことがありません(苦笑)。
ちなみに「現」厚木市内、江戸時代は領主が細分化されていて。最大の領地はこれから向かう先にある「荻野山中藩」。烏山藩飛地領のほかは、旗本の領地がパッチワークのように入り組んでいたのだそうです。
もっとも江戸時代には「厚木市域」という概念はなくて、今の価値観にあてはめただけに過ぎませんが。
「糟屋道」を東へわずかに進むと、古社が佇んでいました。
古道に面するこちらのお社が「林神社」。由緒書によれば、景行天皇の勧請によるもの、とありましたので創建以来約1700年もの歴史が。
裏返していえば、「糟屋道」もそれだけの年数を経過してきていることになるんですね。
次回も糟屋道。厚木市内をさらに東へと進みます。