急な坂 お神輿担ぐ 人の手が 血まみれゆえに この名となりて ~ 難所 血むせ坂 ~ | 温泉大好き!厚木の住人

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厚木・伊勢原・平塚を中心に古街道を辿り、時には川を遡りながら郷土の歴史を探訪します。

 秋の深まるこの時期になると、ご近所の庭に見事な菊の鉢植えが並べられます。

「ご自由にご覧ください」という看板の文字に甘えて、鑑賞させていただくのですが。

 

 花見つつ 人まつ時は 白妙の 袖かとのみぞ あやまたれける

(白い菊の花を見ながら待ち人をしていると、その白さがまるでその人が着ている服の袖に見誤ってしまう の意)

 

 古今和歌集の一首が頭に思い浮かんでしまって。

 日が短くなり人恋しさの増す頃、といったところでしょうか。そういえば、来週月曜日はもう立冬なんですね。

 

 本題に戻って「(金目通り)大山道」

 台地の上から一気に駆け下ります。

 勾配がきつくて長い坂道を「胸突き八丁」と表現しますが、坂の下から見上げたとき、こういう坂のことなのかなと得心してしまいました。

 ちなみに、この坂は「血むせ坂」と呼ばれているそうです。

 

 坂の名の由緒が気になりますが。

 相模國に鎮座する一之宮から四之宮(と平塚八幡宮・六所神社)の神様たちが年一度、大磯の「神揃山」に集結する「国府祭」。

(↑ 神揃山 「三之宮(比々多神社)神体石」)

 

 大磯へと向かう三之宮からのお神輿は、この坂道を登っていくそうです。 

 そしてその際、この坂の勾配があまりにも急なことから、担ぎ手たちの手が血だらけになったのだとか。

 

 それゆえの「血むせ坂」。坂の名を聞いたときには、恨みがましい怨念が宿る場所。そんなおどろおどろしさを感じたのですが(笑)。

 

 ところで。「血むせ坂」の頂上からは、進行方向左手に降りていく別の急坂があります。

 その坂を下り、民家の前の細道を進んでいくと

 一見して「民家の物置」のような建物に辿り着いて。

 

 ここが「相模新西国三十三観音 第二十七番札所」龍雲寺。

 昨年春、三十三観音の札所巡りをしていた際、この建物をお寺さんとはどうしても思えなくて。週末に訪れること3たびにして、ようやく堂宇に手を合わせることができた思い出が。

 

 でも注意深くみてみると、扉の上に「龍雲寺」という木札が掲げられているんですよね。

 いずれにしても、「第二番札所 成就院」と並び、私にとっては三十三観音結願への「最大の難所」となりました(笑)。

 

 次回は関東全域を広く巡礼する「坂東三十三観音」の札所の一つ、金目観音を訪れます。