義家のものから初めて労られる長男嫁 | 義家の人たちとアタシ

義家の人たちとアタシ

長男の嫁として義家に馴染もうと歩み寄りましたが、義弟が結婚してからは、
義弟嫁を「長男の嫁と違って、いいお嫁さんだ」と、べた褒めする義家の人々。

歩み寄りをやめて9年後アタシの『大!?逆転』が待ち受けていようとは!?

そのいきさつを綴ります。

当時のアタシの勤務形態は、期間限定で週3日だったので、翌日も休みで母を新幹線の駅まで送り、その足で、義家に車向かった。

この日は昨日記事にしたような異常なほどの身体の変調はなかったが、町営駐車場駐車場に着いて、義家に歩き出した時には、軽い動悸がしてきた。

義家に着くと、とようさちゃん、お母さんが炊き込み御飯を炊いとるさかいに一緒に食べよな」と、言っているところに、マミが晩ご飯のおかずと買い物をしてきた品を持って、子ども連れで来た。

マミがアタシに「おねえさん、遠いのにすみませんねぇ、私も近いのに中々来れないんでね、助かりますさかいに」と、(^▽^)言った。

義家に貸した、マミには知らされていない、結婚式準備金の700,000円のことと、とらんちの長女誕生のお祝いには、デパートで購入したベビーディオールドレスのセット我が家の次女誕生のお祝いには、義家近くの大型スーパーで買ったノンブランドの服セット

この2つのことをマミと何かで揉めた時に、義家勢揃いの場でぶちまげようと、漆黒の腹の底にしまっていた。

が、

マミからのたった一言だけのアタシへのいたわりのこの言葉で、「アタシは何で、そんな嫌らしいことを考えていたんだろう」と、7000,000万円お祝いの服に差をつけられたことこの時には帳消しにした。

この時には

とよが焚いた炊き込みご飯を、マミも来たので一緒に食べようとなったが、なんせアタシは右手で箸を持つのは非常に困難。


左手でもぎこちない箸の握り方と動きになるし、かと言ってマミの子どももいるので「スプーンを貸してください」と、言うことには抵抗があったので、お昼ご飯は食べてきたと言うことにした。

ご飯を食べ始める前にマミが、金融機関の通帳とよに見せて、「今、これだけ残っているさかいに」と、言っていた。

記事にする機会がなかったが、とよ金融機関の通帳マミが管理していた。

ご飯を食べてる時には、マミが、

昨日、お兄ちゃんとスーパーで、おうたさかいに怪我したことを話したらな、『電話をかける言うてたけど、かかってきたんか」と、とよに聞いており、


かかってきたで、おねえさんが良くしてくれているんや、言うてとらに言うたんやと、とよが答えた。

この会話の時には、うん?おねえさん?誰のこと?と、思って聞いていたが、

マミが「そうやな、おねえさんが、来てくれてるさかいな」と、言うのを聞いて、あっ、アタシのことや、と、気づいた。


うん!?とらにアタシのことを「うさちゃん」ではなくて、「おねえさんって、なんで言うたんやろ?

いつも、「うさちゃん」やのに。アタシに対する気遣いか?


でも、マミからおねえさんと呼ばれる響きが一人っ子のアタシには、嬉しかったし心地良かった。(*^_^*)

あっ、ひらめき電球マミがいてる間に、お見舞金、お見舞金~。

マミの前で母ちゃんからのお見舞い金をだした。

ミが、「うちは話してないさかいにぃ」と、とよに言っていたが、あのケチダンナじゃ言われへんよな~。
米の減り具合を計るぐらいやもん。


ブログ開設当初くらいの記事にも書いたが、アタシは一人っ子、義きょうだいたちと、「近くまで来たからちょっと寄った」という、気軽に行き来が出来る関係になれる、きょうだい関係を望んでいたが、長男一家は蚊帳の外だったために出来ずにいた。

だが、今回の義家のお世話をしたことで、マミとは行き来ができて、とよともそこそこに良い関係がもてるのではないかなぁ、と、淡い期待を持った。

マミ子どもは、まだ、幼くて、義家に来た頃には、アタシを警戒していたようだったが、段々とアタシのそばに来ては「おばちゃん、見て~」「おばちゃんもお菓子食べる~」と、話しかけてきた。

それまでは義きょうだいたちのガキ子どもなど可愛くもなーんともない。( ̄^ ̄)

我が家のお向かいのお子たちの方が可愛いしぃと、それまでは、いのぶに悪態をついていたが、義妹の子の義姪っ子も、可愛いやんかぁ~(*⌒▽⌒*)

アタシは帰るため義家を出る時に、

お母さんに何か買ってもらいね」と、義姪っ子に1,000円のお小遣いをあげた。


マミが、「おねえさん、うちはりーちゃんやれーちゃんには、何もしてあげてないのに、すみませんねぇ


ほんまやな!と、心で答えてた。


とよが完治する間の1ヶ月間、仕事が入っていない日で用事がない日には、アタシ独りで、土曜日は家族で義家を訪れていた。

とよが完治しての翌月、お墓参りに行った帰りに義家に寄ると、

とよが「とらがなぁ、あんたたちの家の近くの病院やゆうとったけど、手術するのに入院しとんやで」

色ぼけが「とら独りで行っとんや、みーのやつがなにもせんさかいになパンチ!

相変わらずの主語がない色ぼけ


・・・、とら退院して2週間経過した頃に、アタシ淡い期待は妄想でおわった!

やっぱり、とよの『』はそうそう変われるものではないよな!

(;-_-)=3


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