知ってるようで知らない“西宮ほにゃらら園”の謎その①  | となりのレトロ調査団

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関西を中心に、身近にあるレトロな風景を徹底的に調査します。

「確かに、ウチの近所に、甲東園やとか、苦楽園やとか、甲陽園やとか、○○園という地名、あるある。それが何故か言われても、理由はよう判らんわ。でもね、後楽園ホール伝説の名試合やったら、話してあげますよ。あれは、忘れもしない、1982年10月8日、メキシコ遠征から帰国した長州力が藤波辰爾に向かって、『オレは、オマエのフニャフニャフニャ~』と言ったんやけど、活舌が悪すぎて、その時はよう判らんかったんや。どうやら、『俺は、お前の噛ませ犬やないで!』と宣戦布告したらいんやけど、その後に、マサ斎藤、キラーカーン、長州力の維新軍団ができるわけやけどな。君もね、僕からこんな素晴らしい話を聞いて、なんて幸せ者なんやろうね。そんな君に、今から重大な使命を与える。僕に煙草を一本、与えてくれたまえ」と、数十年の時の流れを一切感じさせず、学生時代のギャグを発しながら、今も当時と同じマイルドセブンを燻らせ、語ってくれたのは、甲東園の隣町、西宮市門戸厄神在住のY口くん。昭和~平成~令和を通じて、日本プロレス界の動向を隈なく熟知する彼にしても、この○○園の謎に関しては、何一つ知り得ないとのことでした。

 

このテーマを調査しようという思いに至った事の発端というは、半年程前に遡ります。人生、それなりの期間を生きてくると、不思議に昔の友人達に会いたくなるもので、このボクもご多分に漏れず、ここ数年、友人、先輩方に連絡を取っては、ドキドキワクワクしながら、久しぶりの再会を果たしてきました。半年程前にそんな昔の仲間数人で会食した際、参加してくれた一人の同級生が、“今、住まいが香櫨園である事”、“その家は大通りに面した、それなりの一軒家である事”などをさり気なく話してくれ、「なかなかの暮らしぶりやー。出世しはったんやな」、「その割には、偉そうにしてないし、大したもんやなぁ」と、感心しながら、話に耳を傾けていたのですが、実は、ボクが通っていた中学校というのが、その香櫨園地区の脇を流れる、細い川を挟んだすぐの所に有って、でもその川というのが、実は西宮市と芦屋市の境界線でもある川だったので、細っぽちの川と言えど、川のこっち側、芦屋市の住人からしてみると、「川のそっち側は、西宮だから~」と、とんねるずの石橋貴明風に呟きながら、川幅以上の隔たりを感じていたものなのです。ところが、向こう側の住人にしてみると、「有るかどうか判らんくらいの川、渡ってしまえば、わたいら芦屋人やし~ぃ」的な雰囲気を漂わしているのが、多感な中学生の感性には、受け入れ難いものがあって、川のこっち側、川鉄の社宅に住んでいた、今は亡き親友の新開くん家までは遊びに行くけど、“そこから先に立ち入ることなど、こちらから願い下げ!”的な、そんな目に見えないバリアみたいなものを常に感じていたのを覚えています。そんなことを思い出しながら、その同級生の話に耳を傾けていたのですが、よせばいいのに、その席で、例の“となりのレトロ~市岡パラダイス”語りのほぼ全段をぶちかましてしまい、「どうやら、コヤツは、遊園地好きの、大人になり切れない可哀そうな奴なのか」と思われたようで、その人が、「そう言えば、香櫨園には、昔、香櫨園という遊園地がありましてね」と話を振ってきたのです。それを聞き、とっさに、「ありましたよね。香櫨園。ありました・・・確か・・・」。子供の頃から香櫨園にはよく行っていたのですが、香櫨園遊園地については、何の知識も持ち合わせてなく、「香櫨園浜には、確か、砲台の跡があったな・・・あれのことか・・・いや、砲台は鳴尾浜か?」と、記憶の糸を手繰ってはみるものの、な―んにも思い浮かばず、しだいに顔は蒼ざめ、おぼろげな記憶を探り探りでは、まともに会話が続く筈もなく、その場がちょっと気まずい雰囲気になってしまったことがありました。“忘れてしまいたい私の過去の100の出来事”をまとめているとしたら、78番目くらいにランクインしたであろう、その出来事。如何せん70番台後半なので、ほとんど気にも留めず、しばらく放ったらかしにしてはいたのですが、この食事会のことをふと思い出した時に、その人が話してくれた“香櫨園にあった香櫨園”がムチャクチャ気になり始め、その他、うすうす感づいていた、他の○○園群も含めて、それぞれに何らかの意味があって、何らかの役割を担っていて、そして、それらが互いに何らかの関係性を持っていたりするのかな、なんて考えていると、ボクの中では、『世界中に点在するピラミッド群の謎~古代の宇宙人、飛行士説』みたいな壮大な話になってきたのです。そして、いざ調べてみると、これがなかなか中身の濃~い、面白い話が満載で、明治から大正、昭和にかけての関西の歴史の一面がここにも見えてくるのでした。

では、西宮市周辺に、どのような“ほにゃらら園”があるのかと言いますと、まずは、ボクの学生時代の友人、Y口くんが住んでいる門戸厄神から阪急今津線で隣の駅、甲東園駅。街の名前も甲東園です。西宮北口から阪急神戸本線に乗って一つ目、夙川駅から甲陽線に乗り換え、一つ目の駅、苦楽園口駅から、山の方へ上った辺りが苦楽園の街。二つしか駅がない甲陽線の終点、甲陽園駅の周辺が甲陽園。南下して、湾岸エリアを走る阪神神戸線沿線には、あの甲子園球場の最寄り駅である甲子園駅。駅の周りには、甲子園○○町と、甲子園の文字に連なる町名が広がっています。そこから神戸・三宮方面に4駅目の駅が香櫨園駅。ボクが子供の頃は、確か“香枦園”だった気がしたので、調べてみたら、平成13年に“香櫨園”に改称したのだそうです。但し不思議なことに、香櫨園とか香枦園が付く町名はどこにも見当たらず、今や駅名やマンション名や店の名前にしか残ってないようです。同じように、町名には残ってないが、今もエリア名として認知されている昭和園。西宮北口駅西出口周辺にある甲風園。これら七つの○○園のことを西宮七園と言うのだそうです。実際に、そういう呼び名があるそうなのです。知らなかった。

 

これらのほにゃらら園がどのように出来上がっていったのかを検証するために、今回も“タイムマシーンにお願い♪”して、明治36年の大阪の街を訪ねてみたいと思います。時は、1903年(明治36年)。清国との戦いの末、日本側に極めて有利な日清講和条約の調印を終え、日本国中が勝利の熱に沸き上がり、「わしらの勝利やったけ、もう世界の列国に仲間入りやけんね!」と、思い上がりもいいことに、皆が、つい数十年前までの、あのチョンマゲ時代を遠い昔の出来事と、忘却の彼方に消し去ろうとしていた、そんな頃。「今まで、東京上野公園を中心に開催されていた内国勧業博覧会(第4回は京都)の第5回目は、何がなんでも、大阪でやるけん!」と、土居通夫を中心に関西財界が一団となって働きかけた結果、見事、誘致に成功し、第5回内国勧業博覧会は、天王寺ステン所のすぐ北側、天王寺村一帯に、それはゴー☆ジャスなパビリオンを造り上げて、大阪人の心にレボリューション!とばかりに、壮大なスケールで開催されました。3月1日から約5か月間、153日の開催期間中、訪れた人の数は、435万人。絢爛豪華で圧倒的な迫力を持つ西洋文化の数々を目の当たりにすることになるのです。大阪で催される今世紀最大の博覧会となれば、いろいろな人が訪れます。偶然にも、大阪で活躍する3人の事業家が、会場内で出くわすのであります・・・。

呉服商で実を挙げ、伏見町に唐物商「百足屋」を立ち上げた先々代から家督を継いだ、先代又右衛門が手に入れた大阪の千島、千歳、加賀谷の三新田、武庫郡甲東村の広大な土地を引き継ぎ、その事業手腕において、関西財界では一目も二目もおかれる存在の芝川又右衛門が、部下を引き連れ、会場内のレストランで昼食をとっておりましたところ、その姿を見つけた一人の男が親し気な笑みを浮かべ、近づいてきました。シルクハットに燕尾服。まるで“今しがた、外遊先から戻ってきた”政府高官のような出で立ち。大阪の外れ、ここ天王寺村界隈では、かなりの場違い感は否めず、正直言って、周りの雰囲気からかなり浮いておりましたので、その男に目をやった瞬間、すぐにそれが誰なのか、判った又右衛門でありましたが、『まさか、俺のところには、けえへんやろな。できることなら、あっち、行ってくれへんやろかな。なんせ、ちょっと面倒臭い男やからなあ・・・』と心の中で思っていると、人生というものは、得てしてその逆になるもので、満面の笑みを浮かべて、燕尾服に身を包んだペンギン男が、自分のテーブルに近づいて来るではありませんか。『来てもたか・・・さぁて、今日は何の自慢話に花を咲かせるつもりや。しゃあないな。受けて立つとするか・・・』と心とは裏腹の作り笑いで迎える又右衛門でした。そのペンギン男の正体は、近年、砂糖の商いで、飛ぶ鳥を落とす勢いの絶好調男、香野藏治でありました。

 

香野「芝川はん、来てはったんですか。言うてくれたら、わてのマイカーで、お迎えに行きましたのに」

 

芝川「これはこれは、香野さん。『わてのマイカー』て、一人称が被ってますが、相変わらず、調子良さげで、よろしおますな」

 

香野「ここだけの話ですけど、お蔭さんで、なんとか食うて行けてますわ。ハハハ。最初は、『そんなすぐに上手いこと行くような、甘い話やなかろう』と思てましてんけど、なんのなんの。甘いのなんの。さすが砂糖の商いや。甘いわけですわー。ハハハ」

 

やはり、一筋縄ではいかない男なのでありますが、そこはお坊ちゃま育ちの、二代目又右衛門。生まれついての温和な性格ゆえ、この程度では別段、苛つきもせず・・・

 

芝川「ご商売、上手く行っておられて、何よりです」

 

香野「ところで、芝川はん。ここだけの話やけど、西宮に持ってはる土地ありますやろ。あれ、どうしはりますねん?」

 

芝川「・・・特には決めてはいないです。とりあえず果樹園にでもして、たまに家族や親しい方をお連れして、のんびり過ごせる場所にしておくのも悪くないかと思てますねん。甲東村の果樹園やから、甲東園いうて、名前だけは、つけさせてもろてますねん」

 

香野「なんや、もったいない話ですな。あれだけの土地、持ってはんねやったら、ここは、ババーンと大きく勝負しはったらどないですかー。ここだけの話、わしやったら、そらもう、あれこれ人脈使いまくって、すでにババーンと動いてますわ。私やったら、ですよ。ハハハ」

 

芝川「先代から譲り受けた土地ですさかいに、きちんと利用させていただかんことには、もしなにか不手際でもあった時、ご先祖様に顔向けでけまへん。その話しぶりでは、何か事業の構想がおありのようですな。ここだけの話にしときますから、どんな内容かお聞かせください」

 

香野「ほい! よくぞ聞いてくれはりました。実はね、ここだけの話でっせ。ほんま、他所で言うたらあきませんで。あと2年もしたら、なんと、阪神電鉄が大阪から神戸まで、電気の鉄道、走らせますんです。プッフフ。藤田伝三郎はんらが出資して、会社はすでにでけてますので、後は、路線の許可が下りるんを待つだけなんですわ。もうじきの話です。すぐの話です。プッフフ。ほんで、わたしの連れで、櫨山ちゅう男がいてますねんけど、彼と二人で・・・。ほんまここだけの話でっせー。約束でっせー。他所行って、香野がこんなん言うてたで!て、しゃっべったらあきませんで。プッフフ。元も子もありませんよってな~。ハハハハハ」

 

芝川「何が可笑しいですかいな。なんか、他所行って話して欲しい、みたいな感じにしか聞こえまへんねんけど。香野さん、確か阪鶴鉄道(後の福知山線になる)さんの株、持ってはりましたな。あんた、なかなかのやり手でんなあ」

 

香野「んー、ちょっと買い付けで、物産に迷惑かけてしもうたので、阪鶴の株は、全て物産に渡してしまいました。そんなことより何より、この話、興味ありますやろ? でっしゃろ。でっしゃろ。わたいと櫨山で、こしらえますねんがな。何がて? 遊園地でんがな。遊園地。西洋風の大遊園地ですわ! もう土地の目途も付いてますねん」

 

芝川「そら、凄い話ですな。欧米か!」

 

香野「いきなり、どないしはったんですか。そのネタ、以前、市岡パラダイスの回で、一度使こてますで。それはいいとして、この計画に阪神はんもえらい乗り気でしてな。最寄り駅の段取りも、すでに整えてますねん」

 

芝川「櫨山さんて、株取引で大儲けしはった櫨山喜一さんでっか? ほー、これは参りました。早速、何処ぞ行って、話してきますわ」

 

香野「これこれ。あきませんて! まだ、全て極秘の話。あちゃら風に言うと、“とっぷ・しぃくれっと”、ちゅう奴です。念のため、先に言うときますけど、ここは、『欧米か!』要りまへんで。とにもかくにも、ご内密に頼んますでー! いま、その遊園地の名前をね、考えているところなんです」

 

芝川「そこまで計画が進んでおられるとは。お二人が出資して造りはるんでしたら、お二人の名前から一文字ずつ取って、櫨野園にしはったらどないですか」

 

香野「櫨野園って。音だけ聞いたら、ダボハゼの養殖場みたいでんがな」

 

芝川「淡水でハゼ、飼えるんやったら、それはそれで、目玉になります」

 

香野「芝川はん。グーッ! おもろいお人や! 名前の方は、ゆっくり考えさせてもらいます。それにしても、エゲレス製のウォーターシュートちゅう遊具、ものごっついでんな。なんぼするんやろ。2、3台、買うたろかしらん。早速、案内書、もろてきますわ。ほな、さいなら」

 

瞳をギラつかせ、一人で喋りまくった、シルクハットのペンギン男は立ち去って行きました。そのやり取りを少し離れた場所で見ていた男がおりました。大阪で莫大小(メリヤス)を扱っている中村伊三郎という男が、入れ替わるように又右衛門に近づいてきました。

 

中村「芝川さん、ご無沙汰しております」

 

芝川「これはこれは、中村さん。お久しぶりです。聞くところによると、天皇陛下にメリヤスのシャツをご献上されたそうで。たいそうなご活躍、結構なことでございます。お忙しいお人やさかい、こんな場所でやないと、お目にかかれませんね」

 

中村「ほんまですな・・・。それはそうと、今の人、もしや砂糖商の香野さんやないですか」

 

芝川「そうです。飛ぶ鳥も耳を塞いで逃げていくと評判の香野藏治さんです」

 

中村「どうやって鳥が耳を塞ぐんか、滅茶苦茶気になりますけど、それは良いとして。なんか、えらい景気のいい話されてましたな。阪神電鉄と組んで遊園地こしらえはるとかなんとか」

 

芝川「ここだけの話や、言うたかて、あんな大きな声でしゃべりはったら、周りに丸聞こえや」

 

中村「実は、芝川さん。ここだけの話なんですけど・・・」

 

芝川「なんや、あんたもここだけの話なんかいな。皆、好きやな。ここだけの話。どないしはりましてん?」

 

中村「いやね、西宮の辰馬さん、知ってはりますでしょ。辰馬與平さんら地主が集まって、武庫郡の大社村に明礬谷保勝温泉組合っちゅうんを立ち上げる動きが有るらしくてですね。私、一応、あの辺り一帯の土地を調べてみたんですけど、どうやら、良質の温泉が出るような噂を耳にしたんです。実のところ、どうなんかなぁと思いましてね」

 

芝川「皆さん、なかなか事業熱心な方ばかりで、結構なことです」

 

中村「芝川さんとこも、甲東村に広い土地をお持ちでしたね。今後どうするおつもりで?」

 

芝川「いや、先ほども香野さんに聞かれたんですけど、まだ何にも決めてません。実は“ここだけの話”、甲東園ゆうて、やっと名前が決まったくらいのもので・・・あ~ぁ。私も感染ってしまいましたがな。“ここだけの話”。今のところは家族の保養地みたいなもんで、時折、帝塚山から遊びに出向いておりますんです」

 

中村「そうでしたか。今回、博覧会のパビリオンをいろいろ見て回っている内に、もの凄く気持ちが大きなってしもうて、私も土地開発の仕事に挑戦してみたくなりましてね。六甲、甲山の周辺でどうかと思案しているところなんですわ。また改めて相談に伺います。ほな、失礼します」

 

人々に夢と希望を与え、コロッとその気にさせてしまう、魔力に満ちた第5回内国勧業博覧会を契機に、その後の日露戦争でも、アメリカの斡旋の下、日本は自国に有利なポーツマス条約を締結し、国内の上昇機運は、大阪の街にも大きな影響を与え、その気になってしまった実業家、勘違いの起業家達で街は溢れ、大阪は一つの大きな変革の時を迎えることになるのです。

「知っているようで実は知らない“ほにゃらら園”の謎!」その①は、ここまで。お話しは、さらに続きます。引き続き、「知っているようで実は知らない“ほにゃらら園”の謎!」その②をお楽しみください。その②に続く・・・