となりのレトロ調査団~「大阪ヒガシを“ガシ”と言ったら堺の人に怒られた」の巻
大阪の2025年を振り返ると、とにかく予想外の万博人気と押し寄せるインバウンドによる賑わいで、今まで見たことも経験したこともない騒然とした一年でした。年が変わり、落ち着きを取り戻した感がありますが、最近大阪の街で耳にするのは、“ヒガシ”に関する話題であります。「大阪のヒガシ? はて? それは何でっしゃろ?」と思われる方もおられるかも知れませんので説明しておきます。
大阪で買い物やら食事やらを楽しむ繁華街と言えば、兎にも角にもキタとミナミ。別の言い方をすると、梅田辺りと灘波辺り。さらに南にある天王寺の3つの拠点に環状線のループが上手く重なり、大阪の街はこの南北に連なる縦ラインの導線がもたらす人の賑わいが牽引して、現在のように大きく発展してきたと言っても過言ではありません。この“キタ”と“ミナミ”という分け方には、歴史的な背景があります。織田信長が大坂支配、ひいては西国への牽制のために無くてはならない軍事拠点として目を付けたのが、上町台地の北の端に建つ要塞化された大坂本願寺(石山本願寺)。10年にも及ぶ戦の末、なんとか彼らを蹴散らし、その跡地に羽柴秀吉が築いた城が大阪城です。その城下町として、城の西側の低地に広がる砂地、湿地に開発されたのが船場の町です。とても人が住めるような土地ではありませんでしたので、当時すでにたくさんの人で賑わっていた堺、伏見、平野から商人たちを強制的に移住させました。大阪市内中央区に伏見町、平野町、堺屋町(明治初頭までありました)と言う町名があるのは、その名残です。さらに堺筋はそのまま紀州街道につながっていて、船場と堺を直結する街道でした。徳川の治世に大きな発展を遂げた船場ですが、より円滑な自治管理、税の徴収、火消しなどに代表される町奉行の管理など、確実で安全な行政が執り行われるよう町は二分されました。大阪城前の法円坂から真西に引かれた一本道である本町筋(今の本町通り)を境に、北の堂島川(大川)までを北組。南の道頓堀までを南組としたのです。その後、大川の北岸に青物市場が出来、大きく発展した天満組を加えて、大坂三郷と称するようになるのですが、大阪の町はこの時からキタとミナミの2拠点で牽引していく運命を背負うことになり、当時からダークホース的な存在であったテンマがそれらに追随すると言う流れが既に出来上がっていたのですが、そんな潮流に「待った!」をかけるのが、この“ヒガシ”の存在なのです。
東京では、江戸城(現、皇居)を中心にして、品川、目黒などを城南、渋谷、新宿を城西、文京、豊島などが城北、そして墨田、江東などを城東と呼ぶように、大阪でも大阪城から見て城の東側を城東と呼んでおりました。実際の区名にも城東区がありますが、城東と呼ばれる地域は元々、外堀の北東の隅に位置し、交通の要所でもあった京橋を玄関口にして、寝屋川に沿って東大阪方面を指していたようなのですが、この京橋と言う場所は、実際には都島区。しかもおじさん達にとっては、夜のお遊びでは、“京橋は、エエとこだっせ♪”的にリーズナブルなイメージが強い。キタ、ミナミに対抗するための“ヒガシ”の中心地に京橋を据えるにはちょっと危険なのであります。しかも城東エリアだけではどうも地味過ぎる。“ヒガシ”の定義としては、キタやミナミがそうであるように、必ずしも繁華街でなくても良い。そこで目を付けたのが、中央区の森ノ宮。大阪城公園の南東の端に位置する森ノ宮の駅のすぐ横に大阪公立大学森ノ宮キャンパスが開校したことを切掛けに、JR環状線京橋駅から大阪城公園駅、森ノ宮駅、玉造駅までのエリアを一括りにすることで、大阪誕生からの長い歴史の証人である“ヒガシ”が持つアカデミックな魅力が、江戸時代から続く商業を軸としたキタ⇔ミナミの硬直化した導線に大きな刺激を与えそうなのです。ポツリポツリ、この辺りにも高層マンションが建ち始めていて、再開発の動きにも繋がっているようです。
大阪公立大学と言うのは、2022年に大阪市立大学と大阪府立大学が統合してできた日本最大規模の公立大学で、学生数はなんと16,000人。従来のそれぞれのキャンパス、市立大の杉本町と阿倍野のキャンパス、府立大の中百舌鳥、りんくうキャンパスに加えて、大阪市が管理していた下水処理場、ごみ焼却場、JR西日本の車両工場跡地であった森ノ宮駅の東の国有地に2025年、新たに森ノ宮キャンパスが開校されました。コンセプトは、「知の森」。地域、企業と連携を図る都市型キャンパスを謳っています。
2025年の万博のためにコスモスクエア駅から延伸された夢洲駅から森ノ宮駅を経由して東大阪市の長田駅までを繋ぐ、“大阪メトロ中央線”。大正から旧長堀の下を通り、玉造駅から北上して、森ノ宮駅を経由し、京橋駅から門真駅へ延びる“長堀鶴見緑地線”。この二つの地下鉄とJR環状線が交差する駅が森ノ宮駅。交通のアクセスは抜群に良くなっています。昔、学生の頃、近鉄バファローズの試合を観に、何度か日生球場を訪れた記憶が有るのですが、当時は環状線と地下鉄中央線がつながっていましたが、この辺りはもっと人が少なくて、寂しかったような気がします。確か、球場の横にバッティングセンターがあったのを思い出しました。
あれこれ調べてみると、近隣には大阪歴史博物館、森ノ宮遺跡、さらには589年、聖徳太子が自ら彫ったとされる四天王像を祀った神社で、今の四天王寺の前身として元四天王寺と言われていた鵲森宮(カササギモリノミヤ:森之宮神社)があります。排仏派の急先鋒として蘇我馬子と対立し、馬子・聖徳太子連合軍に敗れ、敗死した物部守屋の邸宅跡に鎮魂の意を込めて建てられたとも言われています。さらに、大阪城のすぐ南側には広大な公園として整備されている、とんでもない遺跡が有ります。“難波宮跡”です。645年に孝徳天皇が「大化の改新」で設置した大規模宮殿で、686年に焼失するまで続いた前期難波宮(難波長柄豊碕宮)。その後再び、726年に聖武天皇が再建し、その規模は奈良の平城京とほぼ同様とされていて、744年に首都となり、784年に長岡京に遷都されるまで存続した後期難波宮がありました。ここが大阪発祥の地と言って間違いありません。国道308号線(別名:中央大通り)のすぐ北側にある道が、暗越(くらがりごえ)奈良街道。生駒山系の暗(くらがり)峠を越え、大阪と奈良を結ぶ最短ルートでした。暗越奈良街道を西に歩いて行くと、難波宮跡公園を囲うフェンスのすぐ横にたどり着きます。もちろん当時を思わせるものは何もありませんが、1300年の時を超え、ボクの妄想が広がります。
下級官吏のボクは、上級官吏である上司の命令で難波宮へ出向くことになった。難波宮朝堂院の屋根瓦修繕に際し、平城京での同一案件で掛かった費用を先方の担当官吏に伝えるべく、木簡に記された大量の帳簿を携え、一連の普請に掛かった費用の説明をしなければならないのだ。ヘトヘトになりながら峠を越えて行く。いつもの通い慣れた道なのだが、さすがに冬の行程は寒さが堪える。朝、午前中の早い時間に平城京を出立したにもかかわらず、到着した頃には陽はすでに西に傾き始めていた。澄んだ空気で研ぎ澄まされた陽の光は、低い角度から斜光となってボクの目を射抜き、一瞬眩しさのあまり視界が真っ白になった。目が慣れた次の瞬間、目の前に広がるのは、この世の物とは思えない、整然と配置された難波宮の回廊の鮮やか過ぎる朱色。見慣れることのない眩しいほど鮮やか風景にボクの瞳は再び幻惑されるのだった・・・。
さらに、この玉造エリアには、カトリック玉造教会(大阪高松カテドラル聖マリア大聖堂)や明治時代、神戸に移転するまで外国人居留地が設けられていた大阪川口に設立されたミッションスクール、ウヰルミナ女学校を前身とする大阪女学院があります。粉もん的ソース臭に代表される庶民的な食文化こそが最大の魅力とする大阪の価値観とは明らかに趣を異にする風景がここにはあります。
今後ますます脚光を浴びるであろう“ヒガシ”にボクが考えた呼称が有ります。この国の山口さんや、田口さんや、井口さんらが皆さん揃って、“ぐっさん”と呼ばれているように、“ヒガシ”をこの際“ガシ”としたいのです。「今日は、ガシをぶらり散歩して、そのままガシで飯しよ!」、みたいな感じ。ミツケとかアキバとかニコタマ、ナカメ、サンチャみたいで、ちょっとカッコよくないですか。
この“ガシ”を堺の住人であるボクの知人に伝えてみたところ、こんなことを言われた。
「“ガシ”ちゅうんはな、昔も今も、堺東(サカイヒガシ)のことや。ややこしいこと言うてたら、しばき回わされるど!」。ところが別の堺の住民に尋ねてみたところ、「堺の人が皆、堺東を“ガシ”と呼んでいる」についてはどうも怪しいのだ。「そんなん言わへんて。ハズいやん!」と言う人と、「言うてる。言うてる。うちらの間では堺東は“ガシ”やで」と二分するのです。堺の人達が一致団結して堺東を“ガシ”と呼んでいないのなら、大阪のヒガシをこの際、“ガシ”と呼んでも罰は当たらないでしょうから、積極的に“ガシ”を広めて参りたいと思います!
今後皆さんの間で、京橋や森ノ宮が話題に出た際には、どうか勇気を振り絞って、“ガシ”と言ってみてください。皆様一人一人が、繰り返し“ガシ”と呼んでいただくことで、“ガシ”は一人歩きします。それまでの間のご声援、ご支援を賜りたく存じます。“ガシ”、“ガシ”、“ガシ”でございます。ひたすら働いて、働いて、働いて参る所存でございます。勉強するなら、“ガシ”。休日の歴史散歩に、“ガシ”。仲間との食事&呑みは、“ガシ”。これからもどうか“ガシ”をご愛顧いただきますよう、よろしく、よろしく、よろしくお願い申し上げます!
となりのレトロ~「大阪ヒガシを“ガシ”と言ったら堺の人に怒られた」の巻、終了です。最後までお付き合いいただき、ありがとうございます。










