母の短歌 幼な子
こんばんは。母の短歌にようこそ。今日は母が孫のことを詠った作品を何首か紹介させて頂きたいと思います。母には孫が三人おります。孫を題材とした歌も多く、それらの歌には孫への純粋な愛情表現をしているものがあるのは勿論ですが、私が感心するのは、私達大人もかつては持っていたであろう、そして大人になるにつれて、どこかに置き忘れてきてしまった、純朴な子供の心を母が見逃さず、そこに焦点を当てている歌もあることです。私達大人は幼い子を「弱い存在」,「未熟な存在」,「導いて行くべき存在」であると感じます。勿論そういう所は多分にあるので、つい上からの目線で子供を見てしまいがちですが、子供というのは、心の中に私達の想像を超えた「宝物」のような感性を持つ「尊敬すべき存在」でもある、と母の歌を読んで改めて感じました。心臓の鼓動伝わりくるというまだ見ぬ孫のむつき縫うなり*むつき・・・おむつ、おしめみどり児はわが眼見つめて笑み返す雛飾りたる部屋の内にて歩きはじめてまだ日の浅き幼な子が地に這う蟻を指で追いおり二センチ程のザリガニも親の形にて少女の手より小川に帰る保育園が近づけば急に走りだす幼な子にいかなる楽しみ待つや虫食いの柿の実をみて幼な子は木は逃げられぬと呟きており「木は逃げられない。」と呟く・・・。心、強く動かされました。短歌とは関係ありませんが、娘が3歳か4歳の頃だったと思います。幼稚園の帰り道、夢中でポケモンの話をしていたのですが、急に「あのね、お母さん。あたしがまだ神様の所にいた時ね、お父さんとお母さんを見つけてね、神様に『あのお父さん、お母さんがいい。』ってお願いしたの。そしたら神様が『いいよ。』って言ってくれたの。」と一気に話し、その後は何もなかったかのようにまたポケモンの話を夢中でし始めました。私は特定の宗教を信じている者ではありませんが、娘のこの言葉に疑いを持ってはいません。子供というのは、私達大人より、ずっと、神の領域に近いところにいるのではないか・・・、と思ったりします。今日も最後までお読み頂き有難うございました。良い週末をお過ごしください。*3枚目からの写真はお借りしたものを使わせて頂いております。