嫌なことがあったわけではない。
誰かに強く言われたわけでもないし、
大きなトラブルがあったわけでもない。
その場では、普通に笑えていた。
会話にも入れていた。
必要なこともちゃんとできていた。
むしろ、
「今日はわりとうまく過ごせたかも」
と思っていたくらいなのに。
家に帰ったあと、
急にどっと疲れが出ることがある。
体が重い。
何もしたくない。
ひとりになった途端、
力が抜ける。
「あれ?そんなに大変だったかな」
そう思っても、
心と体は正直で、
静かに疲れを訴えている。
こういう時、
理由がはっきりしていない分だけ、
少し戸惑う。
嫌なことがあったなら、
「あれが疲れた原因だ」とわかる。
忙しすぎたなら、
「今日は動きすぎたんだ」と納得できる。
でも、
特別なことはなかった。
それなのに疲れている。
そんな時は、
大きな無理ではなく、
小さな緊張が重なっていたのかもしれない。
たとえば、
本当は静かに聞いていたいのに、
場を明るくしようとして、少し話しすぎていた。
本当はゆっくり考えてから返したいのに、
すぐ反応しなきゃと思って、急いで答えていた。
本当は少し距離を取りたかったのに、
相手に合わせて、近い距離で関わり続けていた。
本当は今日はあまり引き受けたくなかったのに、
空気を読んで、
「大丈夫です」と言っていた。
ひとつひとつは、
たいしたことではない。
その場では、
無理をしているつもりもない。
でも、
自分にとって自然な関わり方から少し離れると、
あとから疲れとして出てくることがある。
人にはそれぞれ、
楽にいられる関わり方がある。
話しながら整う人もいれば、
少し黙ることで整う人もいる。
誰かと一緒に動くことで力が出る人もいれば、
ひとりで考える時間があってこそ動ける人もいる。
その場で反応するのが得意な人もいれば、
一度持ち帰ってから言葉にする方が自然な人もいる。
どれが良い、悪いではない。
ただ、
自分にとって自然なリズムと、
その場で求められるリズムが少し違う時、
心の奥では小さな負荷がかかっている。
その負荷は、
その場では見えにくい。
ちゃんと笑えている。
普通に返事もできている。
周りから見れば、何も問題はなさそうに見える。
でも自分の内側では、
少しずつエネルギーを使っている。
相手に合わせる。
場に合わせる。
期待に合わせる。
空気に合わせる。
それが続くと、
大きな出来事がなくても疲れる。
無理していないのに疲れる日は、
「私は弱いのかな」と責めなくてもいい。
もしかしたら、
自分の自然なペースから、
少し離れていただけかもしれない。
本当は、
もう少しゆっくり話したかった。
本当は、
少し黙っていたかった。
本当は、
全部を引き受ける前に、
一度考えたかった。
本当は、
その場を盛り上げるより、
静かに関わりたかった。
そういう小さな本音は、
忙しい場の中では後回しになりやすい。
だから疲れた時ほど、
「何が嫌だったのか」だけでなく、
「どこで自分のペースから離れていたのか」
を見てみるといい。
ソールカラーは、
こうした自分にとって自然な関わり方を考える時の、
ひとつの入口になる。
もちろん、
すべてがその通りに当てはまるわけではない。
人は、経験や環境、
その時の心の状態によっても変わっていく。
それでも、
自分にはどんな傾向がありそうなのか。
どんな関わり方だと楽なのか。
どんな場面で力が入りやすいのか。
どんな時に、人に合わせすぎやすいのか。
そうしたことを見つめる時、
ソールカラーは自分理解のための
やさしい補助線になってくれる。
大切なのは、
「私はこういう人だから」と決めつけることではない。
自分の傾向を知ったうえで、
今の自分はどう感じているのかを、
丁寧に見ていくこと。
今日は話せる日だったのか。
今日は静かにいたかったのか。
今日は人に合わせる余裕があったのか。
今日は自分の内側を守りたかったのか。
そこに気づけるだけで、
次に同じような場に立った時、
少しだけ自分を守りやすくなる。
明るくしすぎなくてもいい。
すぐに答えを出さなくてもいい。
全部を引き受けなくてもいい。
自分にとって自然な関わり方を思い出せると、
人との時間は少し軽くなる。
疲れた日は、
うまくできなかった日ではない。
自分の内側が、
「少しペースを戻そう」と教えてくれている日。
そう受け取れたら、
その疲れも、
自分を知るための静かなサインになる。
今日の問い
最近、無理していないつもりなのに疲れた場面で、
自分の自然なペースから少し離れていたことは何だったでしょうか