朝から、心の中に二つの椅子が並んでいた。
右には「行く」の椅子。左には「やめておく」の椅子。
どちらにも少しずつ座ってみるのに、
スクロールをやめて窓の外を見ると、
——そうだ、世界はこんなスピードで変わっているのに、
私はどうして結論だけを急がせようとするんだろう。
「早く決めなきゃ」「伸ばすのは甘えだ」
そんな声に追い立てられて、これまで何度も
“雑に選んで、あとで整える”を繰り返してきた。
あのときの私は、たしかに前に進みたかった。
でも同時に、本当はもっと丁寧に選びたかったのだと思う。
決められないのは、優柔不断だからじゃない。
まだ大切な材料が揃っていないか、
心と体の準備が同じページに並んでいないだけ。
それを「弱さ」と呼んで自分を急かすと、
あとで支払いが大きくなる。
だったら今日は、支払いの小さい選び方をしてみよう。
コップに水を注ぎ、テーブルに置く。
深呼吸を一つ。
「今日は、決めない自由を選びます」
声に出した瞬間、肩の力がほんの少し落ちた。
決めないことは、逃げではない。
**“よりよく決めるための時間を買う”**という、
午後、散歩に出た。
歩きながら、右の椅子に座った自分の一日、
左の椅子に座った自分の一日を、そっと想像してみる。
どちらの私の表情が、ほんの少しやわらかいだろう。
心拍はどちらが穏やかだろう。
体が教えてくれる“微差”は、たいてい正直だ。
夕方、ようやく一つだけ決めた。
最終決定ではない、小さな方の決断。
——明日の午前中、問い合わせのメッセージを一本だけ送る。
進路そのものを確定しなくても、
灯りを一つ前に置くことはできるのだと知る。
その小さな灯りは、夜道で思っていた以上に頼もしい。
もし今、あなたが同じ場所で立ち止まっているなら。
どうか“決められない自分”を、今日だけは責めないでほしい。
曖昧さは、未熟さの証明じゃない。
まだ見ぬ大切さを取りこぼさないための、誠実さでもある。
決めない自由を抱えたまま、
コップ一杯の水、短い散歩、一通のメッセージ。
そんな“やわらかい前進”で十分だ。
いつか振り返ったとき、
この「ゆっくり決めた日」が、
あなたの人生を静かに守ったことに気づくから。
✍️ 今日の問いジャーナル
- いま迷っているテーマは何?(一言で)
- 【書き込み】______________
- そのテーマで、体が教えてくれる微差は?(呼吸/肩/みぞおち)
- 【書き込み】______________
- 明日までにできる小さな灯りは何?(1通/1本/1行)
- 【書き込み】______________
- 「決めない自由を選んだ私」へ、ねぎらいの一行を。
- 【書き込み】______________
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- 決められない自分を責めそうになった瞬間
- 体の“微差”を手がかりにして気づいたこと
- 小さな灯りを置いたあとの、心の変化