【腰痛と神様と私と。〜ご加護と、ちょっとしたお戯れの旅〜】

桜も満開を迎えたある日、神様に導かれるように始まった2日間の旅。


◆4月○日(初日):登って祈って、治療して、財布が空に。

「今日は腰が痛いけど、神様に会いに行くぞ!」 そんな気合いで向かったのは、六甲山にある比命大善神社。2回目の訪問。

今回はなんと、宮司さんがいらっしゃって、 瀬織津姫さまがこの地に祀られるまでの物語をお聞きすることができました。 (メモは取らずに感動していたので、だいたい覚えていません!笑)

でも、問題はそこに至るまでの“坂”。 腰痛持ちにはもはや軽登山。 「神様、これ登ったら何かご褒美ありますよね…?」と心の中で交渉しながら一歩一歩。 無事に登りきったときには、「もうこれだけで今日の修行、完了です」と言いたくなりました。

その後に向かったのが、刀自古郎女(とじこのいらつめ)のお墓と言われる巨石。 知らなければただの岩。でも、そこに漂う空気は明らかに違う。

触れたときに感じたのは、静かだけれど芯の通ったエネルギー。 「本当に彼女がここに眠っているなら、せめてしめ縄でも…」と、ふと思ったりして。

そして、ようやく本来の目的、針治療へ。 …が、治療が思いのほか本格的で深く、ありがたい内容ではあったのですが、 予定金額を超えて、お財布の中がまさかの空っぽに。

ということで、翌日の神社巡りに備えて、ATMで少しだけお金を引き出したことは言うまでもありません。



◆4月△日(2日目):山を登り、お地蔵様との出会い、そして草餅ディナーへ。

この日は、奈良の天河大弁財天社へ向かう予定……だったのですが、 道中で飛び込んできたのが「金峯山寺の御開帳中!」という強烈なお誘い。 これはもう完全に“神様の呼び出し”だと思い、急遽進路変更。

しかし現実は甘くなく、 駐車場は満車、車は進入禁止。 そして腰痛を抱えて、まさかの徒歩で1時間登山コースへ。 (昨日登ったばかりじゃん…と心で叫びつつ)

それでも拝めたのは、年に2回しか御開帳されない三体の仏様。

  • 過去を懺悔する如来様
  • 現在を懺悔する千手観音様
  • 未来を祈る弥勒菩薩様

痛みをこらえたぶんだけ、心にしみました。

そこから本来の目的地、天河大弁財天社へ。 禊殿の近くにある、まだ社はないけれど奥宮として祀られている岩を訪れ、 見よう見まねで祝詞を棒読み。 (たぶん、横から見たらちょっとしたコント。気持ちは本気!)

参拝後にしばし瞑想し、「ふぅ〜、満たされた…」と思って境内を下り始めたその瞬間。 後ろから「すみません、それ忘れてますよ!」と声が。

……そうです、手提げバッグの存在自体を完全に忘れていた私。 (持ってたことすら忘れてたって、もはや超越してる)

続いてお隣の来迎院へ。 ある人に「お地蔵様に、子どものような気持ちで会ってきて」と言われていたので、 境内をウロウロして探していると、ついに発見。 「よく来たね」と言ってくれたような優しい空気が、心にふわっと広がりました。

最後に訪れたのが、室生龍穴神社。 到着したときには、参拝ツアーの人たちで境内は賑やか。 けれど、私にはちゃんと伝わってきた。 しっかりと、堂々と鎮座している黒龍さまの存在が。

そして、この時点で時間ギリギリ… 予定の新幹線まであと少し!



◆……からの、神様のラストお戯れ。

「余裕で間に合うはず」だったはずが、 ナビが予想外のルートへ誘導し、 途中で現れたのは、まさかの永遠に開かない踏切。

ようやく越えて駅に着いたものの、 ホームへの階段を駆け上がる頃には、 乗るはずだった新幹線の姿すら…すでにどこにもなかった。

もはや「見送る」という余韻すら許されない潔さ。

気を取り直して隣のホームに向かい、 次の自由席新幹線に滑り込んだのは、出発2分前。 このときばかりは、「乗れただけでありがたい」と、 さすがの私も悟りを開くしかありませんでした。

「せめて駅弁でも…」という気持ちは一瞬浮かびましたが、 ここで買い始めたら2本後になるのは確定。 駅弁コーナーを横目に、私は静かにお茶と草餅饅頭と桜餅を取り出しました。 それが、この旅のディナー。



◆2日間を終えて

登りすぎて、祈りすぎて、忘れすぎて、買えなさすぎた旅。

でも、不思議と満たされていたのは、 どの出来事にも「ご加護」と「導き」と、 そしてほんの少しの“神様のお戯れ”があったからだと思います。

最後の最後まで、完璧すぎる演出でした。 神様、またぜひ次もよろしくお願いします。 (ただし、踏切は勘弁してください)