「風土記」とは…1300年前システマティックな地方があった②
AIアシスタントさんのお力で、図表は作成頂いているが、僕自身も調べて確認しているので、すごく勉強になる。学生の頃覚えていることでも、改めて調べてみると表面的で浅い知識
だったことを痛感させられる。
「日本書紀」を例に挙げれば、編纂開始時期は「続日本紀」で初めて判り、39年という膨大な期間を要す大事業だったこと、記述担当者も漢文ネイティブかそうでないかも、さらには、
推古朝聖徳太子時代にまとめられた「天皇記」「国記」で
我が国アイデンティティを明らかにしようとする先行
プロジェクトがなされていたことまでわかってきて、その
奥行の深さは驚くばかりです。
このブログを書き始めた2009年には考古学的発見が
既に相次いでおり、古代史の知見がどんどん書き換えら
れる期待や楽しみを当時記事の中で書いた覚えがある。
さらにDNA解析、年代測定法、気象学等々科学技術の
飛躍的進展の流れの中でこの動きは加速するばかり・・・
中国で黄巾の乱にはじまる大騒乱より後漢が滅び、
三国時代に突入し、3世紀余りの長きに亘る大激動の大陸
や朝鮮半島の歴史と、海を隔ててたとはいえ、実質的には
我が国の歴史は地続きだった輪郭像は今やみえている。
学生時代渡来という言葉に代表されていた、大陸や朝鮮
半島の往来は、激動する時代を反映した人の大移動を
伴う、鬼気迫るものだったことは鮮明である。
我国先人達は先史時代より膨大な長期間天変地異に
さらされて、大自然への驚異畏敬の念に根差す独自の
考え方、言わば多神教的神像を形成し、生きてきた。
他方中国文明に代表される文明の産物である、規模の
大きい稲作をはじめとする技術・宗教的考え・美術も船の
製造技術の高まりによる往来が頻度を増すことで入りやすく
なる。
そこで大陸方面での大動乱が起きれば、我が国への
衝撃は想像を絶するものがある。倭国大乱という、考え方
の衝突が至る所で起きていたと思う。
その後数世紀国内は七転八倒の葛藤の渦に巻き込まれた。
僕自身際限なく想像が広がっていく・・・
記事が多分デジタル容量オーバーで一度突然落ちて
消えている。
続きの記事はサクサクっと簡潔に続ける。
先ずは地方官につき表でまとめる。
一時的だったり、特定地域だけの特別職等色々あるが、
ほぼ全てを知りたければウイキペディア等で知ることが
できるので、省略し、シンプルにしました。
国司は中央政府から一定位階以上の官位貴族から選ばれ、着任する。
大河ドラマでイメージはつかめると思う。詳細は省くが、ざっくりした流れを
図示する。
各地方の民にとってはここは関係深く重要なので、少しだけ付け足します。
前記事でも記した下記風土記は、奈良時代の地方を知る唯一な資料という位
重要だし、現代に生きるわれわれにもすごく大切な叡智を与えるので、
再度まとめます。
現代地形等は大きく変わりながら、神社、交通路、地名の由来
を知る重要性に変わりないし、殊更各種繰り返し起きている自然災害の
記録は貴重な教訓を示しています。
国司が政務を行った場所のイメージです。今と違い民が入れるところでは
ありません。ただ統治側の視点でみればすごく重要です。
正倉がある点は特に大事です。
(正倉院は光明氏が亡き夫聖武天皇をしのび建てた宝物倉で、当時の異文化
交流の足跡やことに宝物の芸術・美術史上の価値の大きさは言うまでもない
でしょうが、
当時日本を支えた秩序ある基盤地方の実務上、主として徴税物のイネ等の
保管庫として立派な正倉があった点は、次々時代は移って行く中で、実務
原点を知る上で重要です。)
より細かい実務執行上郡衙(ぐんが)が果たしていた役割は大きい
(組織は縦割り構造で現実的に機能してます)
繰り返しになりますが、ここで俯瞰的視点から改めて整理しておきます。
フォントサイズが小さくごめんなさい。
以上の通り、古代日本という国となって初めて律令下構築された統治組織は、
地方においてもシステマティックにつくられています。
朝ドラの舞台となり、出雲は再度世間の脚光を浴びましたが、
古事記神話でも多くが記され、日本形成や誕生の視点でも、非常に重要な
史実の背景があると考えられます。
戦後皇国史観反発の中で、神話の重要性は歴史学の中で非科学的として
長年顧みられることがなかったですが、(高度成長期太平洋ベルト地帯の
開発が主眼になっていた事情も大きいと思われる。)
近時とりわけ21世紀前後から、考古学上の発見が相次ぎ、出雲の古代での重要な存在感が再認識されました。
続々と山陰地方を含む日本海側諸国の重要性が古代史上も浮かび上がり、
既に考古学や歴史学上からも、かっての理論は、様変わりしてきましたが、
古代の原景や実像の解像度がより上がっていくのが楽しみです。
ByFW











