FWのブログ -2ページ目

「桃太郎伝説」は何を描いていたのか・・・

 

  このことは歴史番組が多いので、ご存じの方も多い

かもしれません。

 僕は1月のブログ記事でコラムを引用し、ご紹介した

関 裕二氏の著書でだいぶ前に読んで知った覚えが

あります。

 

 前の記事の疑問を抱いた理由は同氏著書を読んだ

影響が大きいのかもしれません。

 

今回のタイトルについて、僕が問いを発する形で

AIアシスタントさんに検索いただいた上、

多角的に検証してもらいました。その結果は下記の

通りです。

 

吉備(今の岡山県)には造山(つくりやま古墳という

前方後円墳としては全国4位の規模のものが

あります。(立ち入り出来る古墳では国内最大のものであり、

全国的に見ても貴重

 

というのも昔は仁徳天皇陵として習った、大阪府堺市にある世界最大の

古代巨大土木建築物大仙陵古墳(大三古墳)は仁徳天皇陵とされてますから、

大和政権が威信をかけてつくったのは、よくわかります。(今最新重機で大人数

でつくっても少なくとも2年はかかるほどの建造物です。当時どうやって

つくったか?当時の土木技術がいかに高度であったか!!!本当に驚く

ばかりです)

 

ただ、陵墓ですから宮内庁が管理する皇室関係の墓所で、原則非公開です。

随分前に井沢元彦氏の著作で本格的調査ができれば色々な事が判るはずだと

述べておられたのを思い出します。といっても、(古代史上重要な意義があっ

ても)「皇室のお墓」ですから調査できないという理由はもっともです。

とはいえ繰り返しで恐縮ですが、仁徳天皇陵であることは「そうされていると

いうこと」なのだと重ねて申し上げます。

 

 吉備の件の古墳が歴史上貴重なのはそういう理由からであり、それを

踏まえれば、古代(5世紀前半製造されたものとされる。円筒埴輪など

発掘された副葬物より比定当然被葬者は不明)この場所に大和政権連合

の証とされる前方後円墳の設計図が手渡され、こんなに大規模な古墳を

つくれた事自体が大和政権内の成立時余程大きな存在であったことの

物証である。

 

上記表が述べているのは、「鬼」とは吉備だということである。

 

桃太郎(=吉備津彦命)の吉備津彦命は、検索するのも面倒だと思うので、

要約し記すと、「きびつひこのみこと」とよみ、記紀等に伝わる古代の皇族

である。第7代孝霊天皇の皇子であり、日本書紀上四道将軍として西道に

派遣されたとされる。四道とは北陸、東海、西道、丹波(律令国として

「丹波、丹後、但馬国」を指す)の4地をさす。書紀上崇神天皇10年に派遣され

と記されている(古事記では四道将軍とは言わず、別の言い方で同趣旨と

推測される記述がある)

 

第10代崇神天皇は、神武天皇と同じくハツクニシラススメラミコト(はじめて

国を統治された天皇)との称号が伝わる・・・・・・・・を祭って疫病を終息させ、

・・・・・・・・・・・「古事記」では・・・・・との注記があり、・・・・・・3世紀の大王

である。(「日本書紀」遠藤慶太編171P解説部よりごく一部のみ略引用)

 

興味ある方には、この本はすごく興味深く、ためになると思われるので、

僕一押しである。全部引用したいが余りに膨大な作業となるので、

最低限、僕の記事に必要なところだけ入力引用。

 

 崇神天皇のころ疫病が流行り、それを終息させた点。大物主神・・・・・を

祭ったとする点が特筆したかった。(実在する天皇のはじまりだということも)

 

AIアシスタントさんの整理では

 

 

容量オーバーなのでこの辺で!

 

ByFW