最後は、銀杏(2005.11.16~11.21記載)である。拾ってからの処理の仕方は記載したが、以前は、落とす道具を作って、現地に持って行って落として拾っていた。でも、ここ何年かは、樹を一本所有している知人から声がかかり、楽して拾わさせていただいている。
彼も銀杏を拾って収穫することが好きで、とうとう樹を一本ユニック車で、自分の畑に運び、移植したそうだ。当時の樹の太さは、両手の指が触れたが、今では、触れないという。だから、実が大きい。樹にハシゴをかけて登って足を伸ばし揺すって落とす。時期が来ると、いろいろな知り合いに声をかけ、一緒に拾って収穫している。さらにきれいに処理して干して、知人にあげている。自分では、あまり食べないという。一本所有するとそういう境地になるのかなとも思う。

ところで、最近では、 こんな田舎でも、イチョウにとっては、肩身の狭い思いを強いられているのを目にする。。それは、落ち葉と実の処理の問題であるらしい。イチョウの葉は腐らない。実は臭い。これは、イチョウにとっては、当たり前の事だ。これをイチョウという。
ところが、その周りに住む人間が文句を市や町に言うそうだ。困る。迷惑する。すると、業者に依頼して斬ってしまう。何とも、残念な事になってしまった。イチョウの木の周りの人たちの考え方が、変わってきているようだ。

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3年ほど前に、大きなイチョウの木を見つけて下に落ちている銀杏を拾っていた。
すると、いかにも近くの人らしい年寄りが近づいてきた。そして、どこから来たと聞いてきた。隣の地区だと分かると、ここの氏子でないと拾わせない。もし、拾って持って行ったら、窃盗罪で警察に通報するという。そこで拾うのはやめて、そうそうに立ち去った。
最近、近くを通ったら、残念な事に、樹は斬られていた。
また別の場所では、近くの人にどうぞ拾って持って行ってくださいと言われた。その場所は、大木が5~6本あり、以前から拾わせてもらっていたが、色々な地区の人たちが拾いに来ていた。葉や実が落ちた後の掃除が大変なので、拾って持って行ってくれたら助かると、言ってくれた。
イチョウの樹は、大木である。大木になるまでに、どれだけの年月がかかってきたことだろう。葉や落ちた銀杏の実の管理は、それなりに労力がいる。前者の人のようなちっぽけな考え方では、管理はできないと思う。
それこそ地域一体となって、今まで大きくしてきたことだろう。そのなかでコミュニケーションや絆が生まれてきたはずである。そうやって自分の代まで、受け継いできたはずである。それを、自分の代で断ってしまわない事を考えたら、そんな態度は取らないと思う。地域は、どこでも世代交代の時期である。次の世代を育て、伝え、どう受け継いで行かせるかは、先輩世代の責任だと思う。斬ってしまうのは簡単な事である。
この二人の考え方で、その人の生き方や、人生観を垣間見ることができる。

今では、田舎は、全国的に過疎化が進んでいる。イチョウの樹を見て考えてみてもわかる。次の代に何を残さなければならないのか?個人的な事を含め、自分に何ができるのか?を、改めて考えさせられた経験だった。
自分は、後者の生き方をしたいと強く感じた。樹を一本所有している知人も、後者なので、友人が多く、心が豊かな人生を送っているようだ。