地元の小学校4年生の時、毎日、日記を書かされ、毎朝チェックされた。今でも手元にあるが、当時のクラスメイトの名前も出てきて、今となっては、懐かしくも当時の自分に出会える貴重な財産だと思っている。大切に孫にも伝えようと思っている。
さて、12月の日記には、放課後、5.6年生たちも含め、音楽の人たちは残って、音楽会の練習をしたと書いてある。そして台東区内の小学校のコンテストに出場するためだったとある。12月8日、開催地の台東体育館で歌い、10日に台東区の代表に選ばれ、日比谷公開堂に、行くことになったとある。その時歌ったのが、野菊ほかだった。

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その時は作曲家の名前よりも、歌詞やメロディーを覚える事で一生懸命だったと思う。翌年の1月20日から21日に日比谷公開堂で歌う前に、転校してしまった。(その後の経緯は、同窓会に出席して2006.12.10~12に記載)。だから、この曲の歌詞とメロディーは、地元の小学校の思い出と共に、いつまでも心に残っていた。また、その後の音楽会の結果はどうだったのか知らないでいた。
埼玉のはずれに引っ越して、時刻が告げられる時、なぜか野菊のメロディーが流れてくる。別に気にも止めていなかったが、隣町が、童謡のふる里の下総皖一先生の生誕の地だと後で知った。

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そしてこの曲を作曲された人だと知った。なんと不思議な縁だと思った。
そして、今年2015年3月15日下総皖一愛用ピアノ修復完成披露音楽会が生誕の地で行われると知り、夫婦、孫娘(小6と小3)で参加した

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。プログラム最後の全員合唱の歌の中に、あの野菊があった。今回は家族で大きな声で歌った。あの当時の自分を懐かしく思い浮かべながら。

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