田原坂と西郷隆盛洞窟 | 60からの一歩

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60歳から時間にゆとりができ、始めたことにオカリナ・読書・ブログ・カメラ・車中泊の旅などあります。
日々の小さな出来事を綴っているブログです。
カメラを持って出かけ、身近にあるちいさな感動を写真と日記で書き留めます。

NHKの大河ドラマ「西郷どん」も、もう終わりに近づきました。

12月16日が最終回で、なんだか寂しくなってきました、

この大河ドラマのおかげで、西郷隆盛と云う人の人物像がようやくわかりました。

 

このドラマを観てて、思い出した事が2つあります。

 

その一つ は前回の放送の西南戦争の激戦地の田原坂です。

熊本市の田原坂で、政府軍と肥薩軍が激しく戦った様子を歌にしたのが熊本民謡「田原坂」です。

実はこの歌に、にっこりの思い出があるんです。

 

亡き主人が、私の前で初めて唄ってくれたのがこの歌「田原坂」なんです。

大工修業のため、親方の家に住み込みで働いていた時、親方が酒の席でいつも歌ってくれた歌なんだとか・・。

歌が超苦手な主人は、強引に「歌って!」という私のわがままに、照れながら歌ってくれました。

結婚生活23年のうち、後にも先にも私のために唄ってくれたのがこの歌1曲です。

 

雨は降る降る陣羽(人馬)は濡れる

越すに越されぬ田原坂

 

右手(めて)に血刀 左手(ゆんで)に手綱(たづな)

馬上ゆたかな美少年

 

山に屍(しかばね) 川に血流る

肥薩(ひさつ)の天地 秋にさびし

 

泣いてくれるな かわいの駒よ

今宵忍ぶは 恋でなし

 

田原坂なら むかしが恋し

男同士の夢の跡

 

主人が歌ったのは1番だけでしたけど・・。

懐かしい思い出です。照れ

 

 

もう1つ は鹿児島市の城山にある「西郷隆盛の洞窟」へ50年前に行った時の事です。

 

二十歳の頃に、九州均一周遊券を利用して長崎→川内→鹿児島→宮崎→大分を女二人で旅行した事があります。
夜行列車1泊、長崎野母崎の友人宅2泊、川内市友人宅1泊、宮崎の旅館1泊、延岡の友人宅1泊、フェリ―船1泊の7泊8日の旅でした。
 
川内市の友人宅を出て、鹿児島の友人宅へ行ったのは昼でした。
昼食後に連れて行ってくれたのが、城山にある西郷さんが寝起きした洞窟だったんです。
50年前の事なのに、その洞窟を見に行った事だけは鮮明に覚えています。
 
それから今現在まで、西郷さんが捕えられて牢に入れられていた場所と思っていました。
今でこそ柵がありますが当時は無かったような気がします。
ドラマを観ていても「最後になんであの牢に繋がれるのか?」と不可解でしたが、最終回前にネットで調べたら、政府軍から逃れて最後にたてこもった洞窟と云うのがようやくわかった次第です。
 
政府軍との最後の戦いは城山。
西郷を慕う者たちと共に、険しい九州山地を越えて鹿児島に入ったのが明治10年9月1日。
その時鹿児島にいた政府軍は300人だったのですぐ薩軍が占領したが、その後各地から集まってきた政府軍に対し、西郷達は城山にたてこもったのが9月19日から24日の未明にいたる6日間で、この洞窟で起居した。
後、西郷は降伏のすすめも無視し、洞窟から300m下った所で自決した
ネットより
 
当時は11もの洞窟があったけれど、風化して今現在のこっているのは2つだけだそうです。
 
乙女のトキメキ乙女のトキメキ乙女のトキメキ乙女のトキメキ乙女のトキメキ

西郷さんの弟の西郷従道の役の(ジャニーズ錦戸亮)さんが素敵でした。ラブ

ちなみに西郷従道邸はしゃれた洋館で明治村に移築されています。

 

雑学を紹介します。

西郷隆盛の本名は実は隆永(たかなが)で、音読みでりゅうえいが間違って りゅうせい(隆盛)になったとか。

弟の西郷従道も本名隆道(たかみち)で、音読みでりゅうどうが間違ってじゅうどう(従道)になったとか。

 

「西郷どん」の最終回も録画予約しているので、落ち着いてからゆっくり楽しみたいと思います。

 

明日の晩は柚菜と美湖(長男の娘)がにっこりばあちゃんの処でお泊まりです。

美湖は初めてのお泊まりです。

さてさてどうなりますやら・・楽しみです。女の子女の子乙女のトキメキ

 

 

今日は年末の大掃除をしたり、お泊まりの布団の用意などで、ブログを書くのが遅くなり慌てたので、乱筆乱文にて失礼します。あせる

アツそうそう!年賀状の版画も仕上げたけど、刷るのはまだ先になりそうです。

 

 

明日もいい日でありますように ニコニコ