「別れの曲」
加 藤 高 穂
殉難の地にやはらかく薔薇こぼれ
チャールズ・ヴィダー監督による1944年の米映画『楽聖ショパン』のビデオを楽しんだ。
内容に関しては、野村光一著『ショパンの生涯』の記述と相違する箇所が少なくなかったが、興味深く鑑賞させて貰った。
例えば、有名な練習曲第三番ホ長調「別れの曲」は、1832年5月頃の作品とされる。彼が生涯を通じて真剣な恋をし、結婚をしようとまで思い詰めたマリア・ヴォジンスカ嬢に捧げた曲である。
その結ばれずに終った悲しい恋の想い出のため、ショパンは一生、これを出版することを許さなかったという。死後、彼女から贈られた萎れた一輪の薔薇と手紙の束と共に、ワルツの草稿は美しいリボンで結ばれ、ポーランド語で「わたしの悲しみ」と認められた封筒の中から発見された。
しかし、映画では、その失恋後、九年間の結婚生活を送った女流作家ジョルジュ・サンドに捧げられていた。それはともかく、リストの紹介で相知ったサンドを抜きにして、ショパンの数々の名曲は生れず、病弱な彼が生きられたかどうかも定かでない。
映画では、後世に作品を遺すのが天才の使命と説くサンドと、祖国救済を大事とする彼とは、相容れ難い仲となり結婚は破綻する。
ショパンの身体は結核に蝕まれていたが、ロシアによって亡国の運命にあったポーランドの自由・独立運動の資金を得べく、パリを皮切りにヨーロッパ各地の演奏旅行を決行。39歳で祖国愛に殉じたのだった。