イエス・キリストの黙示―時が近づいている―
ヨハネの黙示録 第1章1~3節
加 藤 高 穂
黙示とは?
旧約聖書三十九巻、新約聖書二十七巻、全六十六巻。その最後の書として、正典の末尾を飾っているのが、『ヨハネの黙示録』である。
「黙示」とは漢訳聖書から受け継いだ用語だが、ギリシャ語原典では「アポカリュプシス」と言い、被り物やベールなどの覆いを取るといった動詞「アポカリュプトー」に由来する。すなわち、これまで秘儀や奥義だったものが明らかにされること、隠れて見えなかったものが現われることを意味し、本来、「啓示」(Revelation)と訳されるべき語である。
キリスト教は啓示の宗教と言われるように、古来、神は多くの預言者を通して、ご自分を語って来られた。しかし、預言者の時代、旧約の時代は過ぎ去り、今や新約の時代となったのだ。
「神は、昔は、預言者たちにより、色々な時に色々な方法で、先祖たちに語られたが、この終りの時には、御子によって、私たちに語られた」(ヘブル1:1~2a)とあるように、今や神は、独り子なる主イエス・キリストを通して、語りかけておられる。その生ける主イエスの啓示の書こそ、『ヨハネの黙示録』に他ならない。
聖書に含めはしたが…
だが本書は、聖書正典として、キリスト教会にすんなり受け入れられはしなかった。聖書正典として認められたのは、漸く紀元四世紀の終わりのことである。正典となってからも、宗教改革者マルティン・ルターは、『黙示録』を自分の聖書に含めはしたが、実質的に
は正典としての地位を与えなかった。ルターの改革運動とほぼ同じ頃、スイスで宗教改革を行なったウルリヒ・ツヴィングリも「聖書的でない書」と言明し、キリスト教の教えが『黙示録』に基づくことを拒否した。ジャン・カルヴァンに至っては、彼の聖書注解において『黙示録』を省き去っている。
実際、『ヨハネの黙示録』を紐解くと、殉教者たちの復讐の叫び(6:10)や、神の激しい怒りと悪の都バビロンへの報復(18:6)といった、残酷で苛烈な出来事が、神や天の軍勢、またキリストご自身によって、繰り返し引き起される。しかも、敵に対してのみならず、世界に対しても起きているのだ。
これが、福音書に描かれたイエス様と、どのように繋がるのだろうか。「迫害する者のために祈れ」と、自らの生と死において、愛や許しを教え、それを体現されたイエス様との違和感を払拭するのは難しい。
だが、果たして、どうなのか。生ける主イエス様の啓示を、共々に、拝させて頂くことにしたい。
イエス・キリストの黙示
「イエス・キリストの黙示。この黙示は、神が、すぐにも起るべきことをその僕たちに示すためキリストに与え、そして、キリストが、御使を遣わして、僕ヨハネに伝えられたものである」(黙1:1)。
イエス・キリストの黙示とは、イエス・キリストについての啓示というのではない。イエス・キリストがもたらした、主イエスからの啓示という意味である。イエス様により、神の御心、永遠なる神の世界が覆いを取られて、私どもに開示され、見ることが許されようになったのが『ヨハネの黙示録』なのだ。
また、「神が彼(イエス・キリスト)に与えた」という表現も、神がキリストより上位にあることを言うのではない。生ける主イエスは、神の啓示の仲保者として、特別の立場にあり給うことが明言されているのだ。永遠なる神の御心が書き記された巻物を開き見ることのできる御方は、唯一、イエス様だけというのである。
啓示者イエス・キリストが「直ぐにも起るべきこと」を示す相手は、人間一般でない。「その僕たち」に対してである。僕とは、旧約以来、預言者の別名であり、モーセやダビデのように、神の御旨を忠実に実行しようと努める人物が、神の僕と呼ばれてきた。しかし、黙示録では、端的にキリスト者を指している。
『ヨハネの黙示録』が、如何なる時代に書かれたかと言うと、ローマ皇帝ドミティアヌス(紀元81~96年在位)によるキリスト者迫害が行なわれた紀元95~96年頃とされる。彼は自ら神であると宣言し、皇帝礼拝を全国民に強要。従わぬ者があれば、ローマの神々への礼拝不履行の廉で捕らえ、不逞な無神論者という烙印を押して、火炙りや獣の餌食として、この世から抹殺した。
著者ヨハネなる人物に関しては諸説があるが、結論は出ていない。伝統的には十二使徒の一人であるヨハネが、晩年、迫害に遭い、エーゲ海に浮かぶ孤島パトモスに島流しにされている時に書いたとされている。
イエス・キリストの証
「ヨハネは、神の言とイエス・キリストの証と、すなわち、自分が見たすべてのことを証した」(黙示録1:2)。
神の言というのは、何か宙に浮いた抽象的なものでない。主イエス・キリストという人格そのものであり、復活の主イエスが生きて働き給う事実がイエス・キリストの証なのだ。
使徒ヨハネは、「自分が見たすべてのことを証した」という。圧倒的な神の臨在を自ら体験し、自分の目ではっきりと見た。生ける主イエスの事実は、目に焼きつき、誰が何と言おうと、決して打ち消すことができないというのである。正に、「証する」(マルチュレオー)というのは、目撃者・経験者として、事実間違いないと証言すること、生涯をかけて証言を貫くことであり、死を賭して証言することを意味しているのだ。証人・目撃者と訳されるギリシャ語マルトスが、直ちに殉教者の意でもあるのが頷けよう。
時が近づいているから
「この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて、その中に書かれていることを守る者たちとは、幸いである。時が近づいているからである」(黙示録1:3)。
『ヨハネの黙示録』は、復活の主イエス・キリストからの啓示を受けたヨハネが、主からの啓示を小アジヤの七つの教会宛に書き送った手紙であり、教会から教会へと回覧され、礼拝で朗読された。
歴代ローマ皇帝の中で最も苛烈なキリスト者迫害を行ったドミティアヌス帝の迫害下にあって、キリスト者であることが、どんなに危険なことであったかは、論を待たない。教会に出席すること一つをとっても、大変な戦いを強いられた。
愛する家族。夫や妻、子供や孫、父母、兄弟姉妹、友人、恋人、同僚。身近な人たちが、イエスをキリストと告白したがため、官憲に連行されたまま、二度と再び帰ってこない。殺されたとの噂を聞いたり、目撃したりする。そんな中、この黙示録は、礼拝を守るべく命がけだった教会の礼拝で読まれたのだ。
この時代、日曜日はまだ休日ではなかった。キリスト者の多くは、奴隷階級に属する貧しい人々だったとも聞く。働かなくては食べていけないのである。まして況や、キリスト者というだけで、迫害を受けたのだ。働きの場も限られる。生活は困難を極めたろう。
そんな中、人々は主の日の礼拝を守り抜いていた。当時のことを記した文書によると、キリスト者は働きに出る前、日の出前に集まって礼拝を行い、日の出と共に働きに出かけた。また、一日の労働を終えた夕方に集まって、礼拝を守り、聖餐を守っていたという。
そんな彼らは、礼拝の座で朗読される御言を、自分への神直接のお言葉として、一言一句も聞き漏らすまいと、聴聞した。生ける主の息吹を感じつつ、何ものにも代え難い、祝福と喜びに満たされたのである。
見れば、この黙示録第1章3節の原文は、冒頭から、「幸いなるかな、祝されたり」(マカリオス)と、復活の主イエスの祝福に始まっている。朗読する者、神の言を聞いて守る者たちは、天的な幸福へと迎えられているのだ。「時(カイロス)近ければなり」とある。この世の時間を突き破って、永遠が突入し、神の救いが完成する。その近さをひしひしと感じつつ、キリスト者は、困難と迫害の只中にあって、天来の喜びに与かっていたのである。
2012.3.20.