「蜘蛛の糸」
加 藤 高 穂
女郎蜘蛛雨を銀糸に紡ぎけり
アメリカ合衆国第十六代大統領リンカーンが、閣僚の後任を選ばねばならなくなったとき、とても有能だからと或人物が推挙されてきた。だが、大統領は彼を採用しなかったのである。
後日、その理由を問われ、「顔が悪すぎる。40歳を過ぎたら自分の顔に責任を持ち給え」と言ったと伝えられている。
これは勿論、生来の顔の造作、その美醜を問題にしてのことではない。その年になるまで、彼が何を思い、何を大切にして生きて来たのか。人生に如何に対処してきたのか。その生きザマが、品格・品性となって、顔に滲み出てくるというのである。鬼瓦さながらの顔で、品格もない自分には、耳の痛いことこの上ない。
虫の場合は、どうか?昆虫もどきで昆虫でない蜘蛛は、益虫であるのに、奇怪な姿故に人に忌み嫌われる。気の毒な限りである。
だが、この蜘蛛が、幼な子イエスの窮地を救ったと聞けば嬉しくなる。間一髪、ヘロデ王による「ベツレヘムの幼児虐殺」を逃れた聖家族は、エジプトへの避難行の途次、洞窟で休息していた。そこに、ヘロデが遣わした兵士が、殺害せんとして、近づいてきたのである。
だが、一匹の蜘蛛が、何を察知したのか。洞穴の入口一杯に巣を張ったのだ。それを見た兵士等は、中には誰も居ないと確信して、立ち去ったという。
梅雨の晴れ間、空中に雨粒をキラキラ輝かせている蜘蛛の巣を見て、小さくとも御用に与からせて頂けたらと、思わされたのだった。