第3239回 乳母から後妻へのお話。【小説 宇喜多直家 備前岡山の父】 | 模型公園のブログ

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第3239回 乳母から後妻へのお話。

 

 

       2024年5月2日木曜日の投稿です。

 

 

【脚本小説】宇喜多直家【備前岡山の父】第47話

 

 

 

 

【備後国 鞆津 こと 広島県福山市鞆町後地地区の風景】

 

 

 

【前話 第3225回の続きより。】

 

 

歩くルンルン「うわーーぃ。」

 

歩くハート「兄者ーーぁ。」

 

ニヤリおいで「七郎、 こちらじゃ。」

 

ニヤリ!「まいれ。」

 

 

と、家の周囲は賑やかで、八郎こと、後の宇喜多直家

 

と、七郎こと、後の宇喜多忠家が鬼ごっこをして遊び、

 

備後国 鞆津の後地の宇喜多興家とお春さん一家の

 

隠れ家では、貧しかったのですが人生で楽しい日々

 

だったようでした。

 

初めは乳母であったお春さんのお腹は日に日に大きくなり

 

興家公の子供を授かっていたのでした。

 

詳しい言い伝えは残っていませんが、乳母のお春さんが

 

お妙の方が亡くなってその後、後妻となったのは、備後国

 

の鞆津であったと考えられています。

 

 

 

 

ところで、当時の鞆津【とものつ】での宇喜多家の収入

 

はと言いますと、刀工 青江 家次家の用心棒といますか、

 

現在風に例えると傭兵であったのです。

 

 

 

 

 

当時、鉄を仕入れて、刀や槍を打ち、その品物を配達

 

運搬する時に、盗賊や、野武士などに襲われないように

 

品物を警備する役目だったようです。

 

そんな興家の隠れ家に、当主の青江 家次と、弟の貞次が

 

訪ねて来たのです。

 

2人は、朝方漁師からもらったのか魚を数尾藁紐にまいて

 

持参し、

 

 

 

 

家次は、

 

「お父上の能家【よしいえ】様が討ち死にされたとか、

 

お悔やみを申し上げます。」

 

 

 

と挨拶し、すると興家は、

 

 

「御面倒をおかけいたしておりまする。」

 

 

と浮かぬ顔付きで返事をすると、弟の貞次は、

 

 

「宇喜多様、悪い事ばかりではありませぬ。」

 

「生きていればきっと良いことがありまする。」

 

 

と言うと、興家は、

 

 

「かたじけのうござる。」

 

 

とそれに応じたのです。

 

 

家次が、

 

「実は宇喜多様、一つお願いがございまして。」

 

 

と語ると、興家は、

 

 

「はて、何でござろうか。」

 

と問うと、2人は、興家の差し料を見せてもらいたいと

 

懇願したのでした。

 

 

【次回に続く。】