第3049回 備前国 景秀【かげひで】の太刀の紹介【岡山県瀬戸内市長船町】  | 模型公園のブログ

模型公園のブログ

模型公園の日々の出来事のブログです。

第3049回 備前国 景秀の太刀の紹介。三毛猫犬ルンルン

 

       【岡山県瀬戸内市長船町】

 

       2024年1月29日月曜日の投稿です。

 

 

【転載・コピー自由です。】

 

 

 

 

三毛猫上差し

 

 今日のお話は、岡山県瀬戸内市長船町の備前長船刀剣博物館で

 

2024年2月4日 日曜日まで展示されている鎌倉時代の

 

大変貴重な岡山県瀬戸内市の文化財の「太刀 景秀。」の紹介です。

 

 

 

 

よかったら、時間を作ってこの機会に備前長船刀剣博物館の

 

2階に展示してありますので見学に行ってください。

 

備前国 景秀の太刀を少し紹介すると、皆さんも名前を

 

ご存じかと思いますが、織田信長と言う戦国武将の人物は、

 

 

 

           【 織田信長 公 】

 

 

 

 

愛刀家で、備前国光忠と言う鎌倉時代の日本刀のコレクターでした。

 

そのコレクションの数は、およそ20柄とされています。

 

今日紹介する景秀と言う作者は、その光忠の弟とされている

 

人物です。

 

兄の光忠の作刀を補助していた為か、作刀数が非常に数が

 

少なく、あまり知られていないのですが、有名な所では、

 

伊達政宗公の愛刀でした。

 

 

 

            【 伊達政宗公 】

 

 

言い伝えによると、奥州の伊達政宗公は、朝鮮半島に

 

文禄の役【1592年】で出陣し、その時用いていた

 

太刀が景秀の作の太刀でした。

 

こんな言い伝えがあって、どのようなやり取りがあったのかは

 

よくわかっていませんが、当時、一緒に在陣していた、

 

 

 

 

            【 加藤清正 公 】

 

 

 

            【 浅野長政 公 】

 

 

有名な加藤清正公と、浅野長政公が伊達政宗公から太刀

 

借りてその目の前で試し切りを行ったとされています。

 

よく斬れたそうで、その太刀を「黒ん坊斬り景秀。」

 

と名前を付けて、伊達家の重宝となっていました。

 

現在は、重要文化財に指定され、目下、大阪府内に

 

保管されているそうです。

 

 

 

 

僕の研究では、織田信長が集めていた備前国 光忠と言う

 

刀工は、初代と2代目があって、広く世間に知られているのは

 

2代目の光忠になります。

 

初代の光忠はどこに住んでいたかと言うと、長船町から

 

北東に500メートル程度行った、岡山県備前市の畠田

 

と言う場所で作刀していたと考えています。

 

 

 

 

【 上の中央左の山裾が岡山県備前市畠田その右が長船町】

 

 

畠田から、便利さを求めて隣の町内と言う感じの

 

川岸の長船町に移動したのが2代目の光忠の頃と

 

考えていて、鎌倉時代の中期の宝治の頃、西暦で言うと、

 

1247年頃と推測しています。

 

景秀と言う刀工は、研究が進んでいなくて、作刀していた

 

場所がよくわかっていませんが、父親と一緒に畠田か、

 

兄の光忠と一緒に長船か、吉井川の対岸の岡山県岡山市

 

東区の吉井地区の北の大内の鍛冶屋の谷付近と推測して

 

います。

 

 

        光忠【2代目】 ー長光

 

                  □ー景光

 

初代 光忠の子ー景秀     ーー景則【吉井派の祖】

 

                ー景安

 

                ー景依

 

 

この景秀の子の景則が、吉井川の対岸の吉井に

 

住んで吉井派の祖とされています。

 

長光の子とされている景光は、もしかすると

 

景と言う漢字が用いられている為、そうではなくて、

 

この子か孫か、景秀の子孫かもしれません。

 

そういう経緯で、少しずつ現地を調べていますが

 

現在調査中でよくわかっていません。

 

 

 

 

この作品は、昨年、岡山県瀬戸内市が購入されたのですが、

 

購入する以前に重要刀剣の審査に出して、一発で合格して

 

その後、手に取って鑑刀したことがあります。

 

左手に取って、腕を伸ばして全体の姿を見ると、一見、

 

南北朝時代の兼光や倫光や基光を見るような、大きな

 

長寸の作品で、身幅が広く造ってあります。

 

元々は、2尺7寸程度の大きな太刀だったと推測して

 

います。

 

 

 

鎌倉時代の太刀姿は、腰反りがついて、ピィーンと立ったような

 

姿で、ふくらかれ、手に取ると見た目より軽く出来ている作品が

 

多いのですが、この景秀の太刀は、例え話をすると、南北朝時代

 

の大宮盛景の作品程度に少し重量がずっしりと感じられます。

 

 

 

 

鉛で埋めてある目釘穴が、当初の目釘穴かどうかは

 

今後の研究を待たなければなりません。

 

この時期より少し前の鎌倉時代の初期は、目釘穴の上に

 

大きく、2字の銘を切るのが掟となっていて、もしかすると

 

当初の目釘穴は無くなっているのかもしれません。

 

あまり詳細に写真を掲示すると、来館者が減ったらいけない

 

と考えて、この程度の紹介とさせていただきます。

 

 

 

 

とにかく、伊達家伝来の重要文化財の景秀は研ぎ減って

 

大変に疲れていますが、備前長船刀剣博物館が購入した

 

景秀の太刀は大変健全で、茎が摺上げてあるのが惜しまれ

 

ますが、おそらく桃山時代にあまりにも長寸で重たくて

 

扱いにくいので、区送りをして摺上げて定寸にしたようです。

 

付属の古文書も珍しく興味深い品が付属しています。

 

展示はされていないのですが、この作品には古い所の

 

黒蝋塗の鞘が付属していて、独特な栗型とか、手に取って

 

しばらく見入りました。

 

岡山県瀬戸内市に貴重な鎌倉時代のお宝が里帰りして戻って来た

 

ように思います。

 

新しい岡山県瀬戸内市の観光資源となるこの作品を里帰り

 

を実現する為に汗をかいて努力されたみなさんにも、

 

誌面を通じて敬意を表します。三毛猫ハート

 

 

 

 

三毛猫じゃあ、みんな また 明日ね。ハートラブラブ

 

 

【次回に続く。】【転載コピー自由です。】