第3043回 真田幸村所用の村正の刀のお話。【岡山県瀬戸内市長船町】 | 模型公園のブログ

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第3043回 真田幸村所用の村正の刀のお話。三毛猫犬ルンルン

 

       【岡山県瀬戸内市長船町】

 

       2024年1月26日金曜日の投稿です。

 

【転載・コピー自由です。】

 

 

 

 

三毛猫ルンルン

 

 本日のお話は、岡山県瀬戸内市長船町にある

 

備前長船刀剣博物館で展示が行われている、

 

 

 

「名将 真田幸村の所用と伝来がある村正の刀の展示。」

 

 

についてのお知らせです。

 

 

 

         【 真田幸村公 肖像画 】

 

 

 天正の頃、少数の兵力で、徳川家康の大軍勢を

 

2度も撃退し、慶長5年の関ヶ原の合戦の前哨戦

 

では、徳川秀忠の4万人近い大軍勢を信州に足止めし、

 

大阪冬の陣では、加賀の前田勢などを真田丸などで

 

撃退したことで知られる真田幸村公の所用の村正の

 

刀が岡山県瀬戸内市長船町にある備前長船刀剣博物館

 

で展示中です。

 

 

 

 

場所は、受付を入って、左側の1階展示室の入って左一番の

 

場所に展示してあります。

 

 

 

詳細な画像を掲示すると来館者が減ったらいけないので、

 

全体の写真のみ紹介します。

 

伊勢国 村正の刀です。

 

村正にしては、地鉄が研ぎが良いせいか、比較的きれいです。

 

箱刃と呼ばれる典型的な刃紋が表裏揃い、茎【なかご】も

 

たなご腹となっていて掟通りの作品です。

 

銘の鏨の打ち方から、村正の3代目の作品と推測します。

 

値段的には、由緒は別にして、村正は人気があって

 

市販価格は、1,200万円前後のお値段でしょうか。

 

一緒に付属している由緒を記した古文書も展示してあります。

 

よかったら、訪問して見学してください。

 

 

 

 

 気になったのが、現代刀の作品で、長光の

 

大般若長光六百貫の写し物の出来の良い作品がありました。

 

 

 

 

 

 

 広島県庄原市の西城町の久保善博さんの作品です。

 

本歌は関東大震災で被災して焼けてしまいましたが、

 

代金、銭六百貫 とされていた、長光の写しです。

 

銭六百貫は、今の価値で約6千万円程度でしょうか。

 

三毛猫ハート忠実に模倣されていて、見ていたら買いたく

 

なりました。

 

 

 

三毛猫上差し

 

みなさん、残念な事に素通りされていて、珍しいので

 

よく観察していただきたいと考えて紹介します。

 

江戸時代の終わりの頃、明治初頭の刀工で、備前岡山藩

 

池田家の最後のお抱え刀鍛冶の 氏春 の珍しい短刀の

 

作品です。

 

平成時代の中期まで研究が進んでおらず、幕末の頃の人で

 

詳細不明な人でした。

 

僕がこの人を研究した結果、江戸時代から平成時代まで

 

不明とされていた、広島県の宮島にある厳島神社の宝物

 

で、

 

〇 革包太刀

 

  備中国青井助次助家作 貞和二年 

 

 

と言う作品の「青井。」と言う文字が、地名であろうとか、

 

青江【あおえ】と読むところ、刀工が文字を間違えて銘の

 

漢字を青井にしたのではないかとか、文化庁が調査しても

 

わからず明治時代から謎とされていました。

 

この謎を解く手がかりになったのが、二つの刀工の銘でした。

 

 

☆備中国青江国安

 

☆備中国片山住人青江氏春

 

 

長い間、この作者は同じ幕末の時代の2人の別の刀工とされて

 

きたのですが、研究によって、次のようにわかりました。

 

同じ人物で、初期の銘が 国安で、

 

その後、氏春に改名したとわかりました。

 

どうしてわかったのかと言う理由は、この人が左利きだった

 

ことで鑢のかけ方や銘の鏨の打ち方が同一人物とわかりました。

 

それから、岡山藩池田家の古文書を研究して、明治以後の

 

名前が、諏訪京介 と言う名前であることもわかってきました。

 

 

 

 

 

この展示してある作品は、彼が27才の頃の慶応の頃の作品です。

 

 

 

 

 この諏訪京介さんがどこに住んでいて、どこで作刀して

 

いたのかと調査して行く過程で、謎とされていた備中国青井

 

の場所の特定が出来たのです。三毛猫ハート

 

 

 

三毛猫上差しピリピリ

 

今は岡山県倉敷市の高梁川は一本の川ですが、江戸時代は

 

上の写真のように倉敷市の酒津の北側で、大川と言う名称の川と、

 

河辺川と呼ばれる2つの川に分かれて流れていたのです。

 

 

 

 

明治17年から、明治23年と、現在の倉敷市が水害で水没して、

 

水深が3メートルに達する災害が発生し、人や家畜の

 

牛や馬がたくさん死ぬ出来事があって、その後、

 

 

 

 

明治政府によって、旧中州村は立ち退きとなり、現在の高梁川の

 

川の中に水没する事になって行ったのです。

 

立ち退きの命令が出て、土地の農家の人達が暴動を起こしたとか

 

いろんな記録が残されています。

 

 

 

 

旧、中州村の中に、片山と言う集落があって、その中に、

 

青井と呼ばれる井戸があって、その周辺を青井【あおい】と、

 

大昔からずっと呼ばれていたそうです。

 

ちょうど、祐安の青江の井戸跡から、南西に1キロ程度の

 

高梁川の川の中が、昔の青井だったのです。

 


 

 

この諏訪京介さんは、古の青江の作品の再現を試み、

 

丸みねの作品などを少数残されています。

 

よかったら、江戸時代の最後の岡山藩の藩工の作品を

 

興味を持って見学していただけたらと思います。

 

 

三毛猫犬ハート

 

2024年2月4日 日曜日までの展示となっています。

 

 

 

 

三毛猫じゃあ みんな また 明日ね。ハートラブラブ

 

 

 

【次回に続く。】【転載コピー自由です。】