第3034回 平島学区体育協会の成り立ちのお話。
2024年1月22日月曜日の投稿です。
2020年 平島団地分裂騒動顛末記 第1171話
2019年7月6日土曜日の夜、平島団地町内会の会合で
平島学区体育協会の会長てあった床屋爺さんに対する苦情が
相次いで、当時、司会を行っていた町内会長の僕はこんな
お話をみなさんに行ったのです。
【前話 第3030回の続きより。】
「みなさん、平島学区体育協会への苦情が多いいですが、
昭和23年10月11日に岡山市体育協会こと、現在の
岡山市スポーツ協会の組織の前身の組織が行政機関によって
作られたそうです。」
「それで、連綿として、昭和、平成、令和と続いて今ある
そうですが、岡山市スポーツ協会の中の一つの組織が、
平島学区体育協会と言う組織で、聞いたところによりますと、
苦情の多い床屋爺さんが10数年前から会長と名乗り、
今現在、岡山市スポーツ協会の副会長と言うことになって
おるらしいのです。」
「それで、平島団地の民生委員の
C2さんに
お伺いしますが、平島学区体育協会は、昭和のいつから
あるのでしょうか。」
と聞くと、平島団地の民生委員のC2さんは、
「さぁーーー、私にもわからない程度昔から
ありますよ。」
と、皆さんの前で回答があったのでした。
「それで、老人会の会長の
C1先生にお伺いしたら、
当初はこうであったらしいのです。」
「平島地区の各地域の町内会が年に一度程度、
平島小学校に集まって、スポーツによる交流会を
行いましょう、ついては、その会費として、1世帯
年間300円の会費を各地域の町内会が集金して、
集めて持ち寄って、その資金の範囲内で催事を行うと
言う取り決めだったんだそうです。」
「現在ですね、平島学区の中の町内会に加入されている
世帯は1,708世帯に、✕300円を掛け算すると、
約512,400円のお金が集まることになります。」
「それから、各地域の町内会から、テントや人を出し合って
年に一度程度、地域の町内会の交流のスポーツ行事を行うと
言うお話で、各町内会に体育推進委員と言う役職があるよう
です。」
「それで、昔は、年に一度程度、その各地域の体育推進
委員さん達が集まって、打合せして、民主的に物事を
多数決で決めて行っていたそうですが、10数年前から
問題となっている、床屋爺さんが会長になると、
それを形だけ装いして行わなくなり、文句を言う人達は、
平島学区体育協会から追い出されることになって行った
そうです。」
「その内の平島団地の2人が、平島団地の民生委員の
C2さんからお話がありました一件のようです。」
「先ほど、平島団地の民生委員のC2さんから苦情の
お話がありましたが、喧嘩別れした人達のお話が広まるにつれ、
床屋爺さんの評判が悪くなっていったようです。
「それから、床屋爺さんが会長となって、ワンマン体制となり、
どんどんと催事の回数が何故か増えて行き、毎月のように行事
を行うようになって行って、それに伴い、各地域の町内会の
体育推進委員に対して、会長と名乗る床屋爺さんが電話を
かけたりして、土曜日、日曜日が、平島学区体育協会の手伝いで
潰れてしまい、サラリーマンの会社勤めの体育推進委員の方が
休日がとれないと言う現象が発生するようになっているようです。」
「みなさん、年間の会費、約51万円のお金が
各地域の町内会から集まるのですが、どうしてお金が足らない
のでしょうか。」
「いったい、何にこれらのお金が支払われているの
でしょうか。」
「不思議でなりません。」
「集まった資金の中で、平島学区体育協会の行事を
行うようにすけば、寄付を要求して歩いたり、苦情が
発生することは無いのではないのかと思います。」
と、そんなお話を行うと、平島団地の民生委員の
C2さんが、
「みなさん、
会長の言う通りですよ。」
「寄付なんか、集めて回るのが異常なんですよ。」
と、そんな同調する意見が当時あったのを記憶しています。
【次回に続く。】