第2870回 備前国新田郷跡を見学する。
【岡山県和気郡和気町】
2023年11月1日水曜日の投稿です。
岡山県こと、昔の備前国の新田庄と言う場所では、
多くの合戦の舞台になっていったのですが、どこかの
大学の先生や、いろんな研究家がいろんな説を唱えて
備前国 新田庄とは、どこだったのかと正確な
回答を行える人が少ないのが現状です。
何故かと言うと、本の文章から、別の文章を作成する
ので、どこかの本の文章がその文章に見え隠れしています。
そういう事情で、苦手なヘビも出なくなったので
現地を歩いて研究して見ました。
多くの人々が間違って認識しているのが読み方です。
新田庄 と書いて、「にゅうたのしょう。」と
読むのが正解です。
新田庄 と書いて、「にったのしょう。」と
読むのは間違いです。
「にったのしょう。」と話している人がいたら間違いなので
教えてあげてください。
今日のお話は、備前国 新田庄の原点となった、新田郷は、
どこにあったのか、この地方で一番古い、日本陸軍参謀本部
が明治30年頃に作成した地図を基に現地を調査したお話です。
〇 郷 【ごう】
と言う地名の単位は、大化2年【646年】公地公民制の制定で
作られた当時の集落の単位です。
土地や、人や、川や、すべての物は王の所有物で
個人所有は禁止されました。
このあたりの事は、説明すると長くなるので、この程度
にして、郷の上に、郡【こおり】と言う単位が制定されました。
和気郡【わけこおり】の下に、10の郷が制定されました。
1 坂長郷【さかながのごう】三石町付近。
2 香止郷【かがとのごう】備前市香登駅付近。
3 益原郷【ますはらのごう】佐伯町付近。
4 藤野郷【ふじののごう】旧藤野村付近。
5 新田郷【にゅうたのごう】旧本荘町付近。
6 石生郷【いわなすのごう】旧石生村付近。
7 和気郷【わけのごう】熊山町の南部付近。
8 珂磨郷【かまのごう】熊山町の北部付近。
9 肩脊郷【かたせのごう】岡山市瀬戸町大内付近
10 外三郷【ほかさんごう】岡山市瀬戸町吉岡周辺
以上が集まった集合体が、和気郡と呼ばれていました。
律令政治は、約100年程度続き、一種の共産主義
独裁政治のような、住民に過酷な税金や労役を要求する
政治システムで、逃散が相次ぎ、破綻して行きました。
日本史の教科書の通りです。
備前国新田郷の場所は、現在も地名が残っていて、
おおよそ、山陽自動車道 和気インターチェンジ周辺から、
初瀬川沿いの長雨の洪水で沈まない地域の水田が
新田郷のあった場所とされています。
おおよそ、衣笠山周辺、入田山周辺だったようです。
このあたりの農地は、大雨が続いても水没はしない、
昔からあった水田だったようです。
おおよそですが、上の写真の山裾の農地が新田郷の跡だと
思います。
それでは、ここの地が律令の時代の100年程の期間、
備前国 和気郡 新田郷【にゅうたのごう】と呼ばれて
いたそうですが、新田庄【にゅうたのしょう】とはまた
違うようです。
初期の和気郡新田庄【にゅうたのしょう】は、別の場所でした。
次回にまた続きを紹介します。
じゃあ みんな また今度ね。
【次回に続く。】