第2793回 霞ヶ浦航空隊 滑走路離陸のお話。
2023年9月24日 日曜日の投稿です。
〇昭和の伝道師【戦中・戦後のパイロットの物語】第2777話
【前話 第2777回の続きより。】
昭和二年こと、1927年の12月23日金曜日、忘れもしない
この日は私の運命の分岐点となった日でありました。
翌日が、多摩御料【大正天皇の墓地】の式典が行われた
前日の出来事でした。
前記で紹介したように、同年11月1日に墜落事故があり、
不慣れな操縦士に離着陸は危険と言う事で、教官がこれを
行い、私たちは空の上で教官の指示に従って飛行機を操縦する
と言うことになっていたのです。
当時、飛行ルートは、海岸線を東に高萩方向に飛行して戻る
ルートと、北方向の筑波山を目指してまた戻るルートの
2つの飛行ルートがありました。
高萩方向の海岸線は太平洋の風が強く、飛行が難しいので、
当日は筑波山方向に飛行する訓練コースでありました。
出発前に、各計器の点検がありまして、これは
1人で行うのを間違いがないか教官が黙って見て
いました。
「 準備よいか。」
「はぁーーぃ。」
「よーそろーっ。」
と、回答すると、
「発動機回せ。」
「はーぁーぃぃぃ。」
手信号で合図を出すと、
整備員が、作業を開始し、プロペラを回すと、
発動機【エンジンのこと】の排気口から真っ黒い煙が
後方に広がり、
「ヒューーィいぃぃ。」
「ぶおおぉぉぉぉぉぉおぉぉぉぉぉん。」
とすごい音がしまして、後ろの座席の教官から、
「操縦管から手をはなせーっ。」
と、指示が出ると、
「はぁーーーぃぃ。」
と、返事をすると、教官はスロットルレバーを開いて、
「発動機、よろしい。」
「発動機 回転上げ。」
「前方、周囲の確認よろしい。」
「離陸開始。」
と、叫ぶと、ものすごい発動機の音を立てて、
私の乗る航空機はガタガタと揺れながら前に
進みだしたのです。
そして、さらに発動機の回転数は上がって行き、爆音を
立てながら、航空機は速度を増して、ふわりと空中に
浮いて行ったのです。
教官が操縦する私を載せた航空機は、耳が聞こえなくなるような
爆音を立てて、黒い排気ガスを引きながら、霞ヶ浦の滑走路を
飛び立って行ったのです。
私は、広島県の江田島の江田内の水面から飛び立った飛行艇の
体験搭乗から5年ぶりに空に舞い上がったのでした。
私は、大風が吹く空の上から、右方向の地上の風景を見つめ、
「勝負や。」
「がんばらにゃーあかん。」
と自分に言い聞かせたのでした。
【次回に続く。】