第2351回 マンガ家 松本零士 こと、松本 晟先生を偲ぶ。 | 模型公園のブログ

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第2351回 マンガ家 松本零士 こと、松本 晟先生を偲ぶ。

 

 

 

          2023年2月21日 火曜日の投稿です。

 

 

                三毛猫アセアセ

 

 

 

 

 

 2023年2月21日 火曜日の新聞の朝刊で記事が発表される

 

と思いますが、マンガ家の松本 零士 こと、松本 晟【あきら】先生

 

がお亡くなりになりました。

 

行年85才でした。三毛猫お願い

 

 

 

 

三毛猫!

 

 僕が先生の作品を知ったのは、1974年に毎週土曜日の19時から

 

放送されていた 宇宙戦艦 ヤマト と言うアニメを見てからです。

 

その後、先生の有名になる以前の作品も、古本屋などで捜して、

 

楽しみを持って過去の埋もれた作品を読む様になりました。

 

ラーメンライスなどと言うメニューも、先生のマンガから

 

知りました。

 

ラーメンを食べた後、ラーメンのお汁に、ご飯と

 

タマゴを加えて食べたらなかなか美味しかったです。三毛猫ラーメン

 

先生が、ラーメンを食べられた後に、そうして日々楽しまれて

 

いて、それで、作品の中で描かれたのでしょうね。

 

 

 

 

初期の作品は、第2次世界大戦物のマンガが主流でした。

 

先生の作品の中に、鉄の墓標と言う作品があって、ここで、

 

日本陸軍の戦車の装甲が薄くて、多くの人が亡くなり、

 

「戦車ぐらい同じ同程度の品が造れないのか。」

 

などと言う内容を読んで、四式戦車などの試作戦車の

 

知識を得ました。

 

 

 

遠い、ビルマのジャングルで、装甲の薄い弱い日本陸軍の

 

戦車1台を相手に弱い者いじめをしていたM4戦車3両に対して、

 

試作 四式戦車の長砲身戦車で仕返しを行うストーリーでした。

 

お父さんの松本 強さんが、陸軍少佐で陸軍の試作機のパイロット

 

だった関係で、戦前の航空機を題材にした作品も多かったと

 

思います。

 

 

 

 

 ベルリンの黒騎士 と言う作品もあって、 黒い機体に

 

ドクロのマークを付けた、フォッケーウルフの戦闘機の活躍など

 

を見て、何度も読み返したものです。ドクロ三毛猫ルンルン

 

残念な事に、世の中の人達は、それらのマンガを当時評価しなかった

 

ようで、知られるようになったのは、後の1980年頃、

 

松本零士の戦場マンガシリーズのマンガの単個本の再版があって、

 

宇宙戦艦 ヤマト の作者のマンガと言う事で、徐々に作品が

 

知られていきました。

 

 

 

 

 宇宙戦艦 ヤマト の次ぎに、宇宙海賊 キャプテン ハーロック

 

と言うテレビがあって、 その後、銀河鉄道 999 と言うテレビが

 

放映されました。

 

 

 

少年が、戦士の銃 コスモドラグーンを持って、宇宙鉄道で

 

メーテルと言う美女と一緒に銀河の星を旅するお話しです。

 

当時、999【スリーナイン】で、ステーキセットを食べるシーンが

 

よく出てきて、今は無くなってしまいましたが、その当時は、新幹線に

 

食堂車があって、ここで車窓を楽しみながら、ステーキセットを

 

注文する人が増えたそうです。三毛猫ステーキルンルン

 

 

 

 

 

昭和49年頃を境に、スペース物、つまり、宇宙を題材にした作品

 

を作られる様になって、人気が上がって行ったと思います。

 

人の模倣を行わず、我が道を自ら作って進む先生でした。

 

後の世の人に語られる立派な85年の人生を送られたと思います。

 

 

 

 

私生活はよくわかりませんが、猫好きな先生だったと聞いています。三毛猫ハート

 

 

 

 

 

  みなさんも 一緒に両手を合わせて、故人のご冥福を

 

  祈っていただけたらと思います。三毛猫お願い

 

 

 

【次回に続く。】