第2209回 昭和2年の美保関事件での損害報告。 | 模型公園のブログ

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第2209回 昭和2年の美保関事件での損害報告。

 

 

 

         2022年12月22日 木曜日の投稿です。

 

 

 

昭和の伝道師【戦中・戦後のパイロットの物語】第2724話

 

 

 

 

 

 

 

 

【前話 第2204回の続きより。】

 

 

 昭和2年こと、1927年8月24日 日曜日から日付が変わって、

 

翌日の8月25日の深夜、第五戦隊 司令部が座乗する、巡洋艦

 

加古 の艦長、後藤 章 海軍大佐の艦から信号があり、

 

概ね、次の様な損害報告が届いたそうです。

 

 

発 第五戦隊司令

 

宛 連合艦隊司令部

 

発信文

 

衝突事故の損害 次の如し。

 

 

 

 

 

1つ、乙巡 神通、【じんつう】艦首 大破。

 

   自力航行不能なり。

 

 

 

 

 

2つ、衝突を受けし、駆逐艦 蕨【わらび】15分後に沈没。

 

   乗員110名中、18名救助、92名行方不明。

 

3つ、乙巡 那珂、【なか】艦首 中破。 

 

   自力航行可能なり。

 

 

 

 

 

4つ、衝突を受けし、駆逐艦 葦【あし】     

 

   艦尾、流出後沈没、大破、 乗員110名中、28名行方不明。

 

 

 

 

 信号を受信した、連合艦隊 司令部の座乗する 戦艦 長門では、

 

第二艦隊司令長官 吉川 安平 海軍中将に対して、

 

戦艦 金剛

 

戦艦 比叡

 

巡洋艦 阿武隈

 

の3隻を事故現場海域に派遣し、損傷艦の曳航の命令を発令し、

 

3隻の艦艇と、第五戦隊の巡洋艦で、舞鶴海軍工廠まで

 

曳航することになって行ったそうです。

 

こうして、一夜にして、120名の将兵が行方不明となり、

 

連合艦隊では総力を挙げて行方不明者の捜索を行う命令を

 

発令することになって行ったそうです。

 

 

【次回に続く。】