第1913回 第1次山東出兵 陸軍第33旅団の出陣。
2022年9月11日日曜日の投稿です。
昭和の伝道師【戦中・戦後のパイロットの物語】第2636話
【前話 第1910回の続きより。】
支那人の孫文が設立した中国国民党は、日本陸軍の支援を受けて
いたのですが、その後、孫文が他界すると、蒋介石が総統となり、
恩を仇で返すとはこの事で、何と、図書館の事務員をしていた
毛沢東なる共産党員と手を組んで、支那大陸の南部の広東を占領し、
ソビエト連邦から共産党赤軍の軍事顧問を招き入れ、国民党は
共産主義を唱え、上海方面や、北京方面に軍勢を進めて来たのです。
当時の成立して1が月程度だった、田中義一内閣総理大臣は、
帝国議会を開かず、閣議決定で、臨参命第二号なる命令を発令
したのです。
【 白川 義則 陸軍大臣 島根県出身 陸士第1期卒 】
白川陸軍大臣は、兵庫県姫路市に本拠を置く、第10師団に
対して、山東半島へ出陣命令を発令したのです。
姫路師団の隷下に,岡山歩兵第10連隊と言う部隊があって、
当時、福島格次 陸軍大佐が、満鉄警備の為に、部隊を満州に
展開していたのです。
当時、この岡山歩兵第10連隊から、兵力2個大隊 約2千名
を抽出して、大連の港に転進命令が出たのです。
大連の港に兵力を集結し、その他の朝鮮半島の部隊を加え、
この部隊を当時、陸軍 第33旅団と呼んだのです。
ところで、岡山歩兵第10連隊を主力とする第33旅団を
大連港から、山東半島の青島港まで海上を移動する護衛を
陸軍は、海軍に要望して来たのです。
【 海軍大臣 岡田 啓介 海軍大将 福井県出身 海兵第15期卒 】
当時、岡田 海軍大臣は、陸軍の山東半島出兵の為の
護衛艦隊の編成を命令したのです。
【次回に続く。】