第929回 岡山県岡山市東区平島団地 前頭側頭型認知症の意地悪婆さん。
2021年7月31日 土曜日の投稿です。
2020年 平島団地分裂騒動顛末記 358話
2019年4月19日金曜日の岡山市東区平島団地の様子を少しずつ紹介しています。
当時の平島団地は、三国志の様相で、元生命保険会社の支店長で、平島学区体育協会の
役員のA1元町内会長の一派と、激しく対立していた 元岡山市役所職員のB1元町内会長
の一派と、当時の平島団地の民生委員で、平島団地愛護委員会の会長であった、C2元町内
会長らの一派に別れて、犬と猿の喧嘩騒動を繰り返し、騒動の渦が渦巻いていたのです。
町内会長の僕は、自費で回覧板を複数作成して、「 みなさん、御近所を大切にしましょう。」
「 町内に共助の組織を作って、心穏やかに暮らしましょう。」 などと、呼びかけて、広報活動を
行っていたのですが、高齢者同士の喧嘩騒動が続き、心を痛めていたのです。
2019年4月19日金曜日、こうした騒動を鎮静化させようと、当時の平島団地の老人会の
会長のC1先生に懇願して、当時の平島団地の実力者で民生委員のC2元町内会長と、平島
団地の今後の事について打ち合わせを行っていたのです。
当時、喧嘩騒動が続いていたその理由や経緯などを教えていただき、 どうして 平島団地の
住人が、 土地の所有者と打ち合わせもなく、無断で、他人の土地に入り、伐採したり、草刈りを、
それも ものすごい面積を無料で行う事になっている原状の由来や理由について問い合わせた
のです。
【 前話 第927回の続きより。】
老人会の会長のC1先生は、ピクリ と、頭を動かして、「えーーーーーっ、僕も90才となり、
認知症で、その理由は、覚えていないんです。」
「 昭和の終わりに、僕が平島団地に引っ越して来た時は、 すでに、そうでした。」 「 はぃ。」
「 理由は、わからないので、神社の宮司さんに電話しておきますので、宮司さんに聞いてみて
ください。」 「 はい。」 と言うと、 民生委員のC2元町内会長は、「私も長く住んでいますが、理由
はこれと言って知らないですが、神社と氏子の関係でそうなっているのではないかと思いますが、
詳しい経緯は、長く住んでいますが知りません。」
「 ところで、齋藤会長、今日、ここに2人でやって来たのは、明日、4月20日土曜日の10時から、
平島団地公民館で老人会の総会があるんです。」
「 それで、来賓として、挨拶をお願いしたいんです。」 と、そんなお話しがあったのです。
僕が、「 挨拶と言っても、どんなお話しをしたらよろしいのですか。」と、問うと、C2元町内会長
は、「 それは、お任せしますよ。」 「 よろしくお願いします。」 とこんなお話しをして当時、お2人と
お別れしたのです。
当時、僕は、「みなさん、草刈りをしましょう。」 などと、申し立てる本人の町内会長が、その作業
について、土地の所有者に無断で行い、それも無料で、その作業範囲が、数千平方メートルに
及び、作業をする町内の人達から、「とても作業範囲が広すぎで手に負えない。」 と苦情が発生
している原状から、当時、もう少し詳しく、由来や、経緯などを調べて見ようと思うようになっていった
のです。
その日、 とっぷりと夜がくれて、そうーー何時頃だったか、随分遅い時間に、もうそろそろ
寝ようかと思っていた頃、玄関の方で、「 どんどんどん。」 と激しくたたく音がしたのです。
「 会長さん、会長さん、いらっしゃるぅーーーっ B12です。」
「 どんどんどん、どんどんどん。」
と音がして、その声から、 平島団地の西の放送局 意地悪婆さんであることがわかったのです。
当時、彼女は75才で、 朝でも、夜中でも、頭の中に思い浮かんだら、これを行わないと
気がすまない性格で、 頭の中に思い立ったお話しは、しゃべらないと気がすまない性格で
あったのです。
そして、 耳が難聴なからか、 その声は大声で、周囲によく聞こえる大声でお話しする
状態であったのです。
今から思えば、前頭側頭型認知症の初期の症状を発症していたのです。
この病気、脳の前の部分の血管の病気で、 血圧が高いと、若い時はそうでもないのですが、
高齢になると、血管がもろくなって、血圧が高いと、毛細血管が損傷して、症状が進んで行く
病気らしいです。
平島団地の西の放送局 意地悪婆さんは、まさに その症状を発症していて、夜中に、ふと、
思いついて、がまんできなくなり、僕の別宅にやって来て、「 どんどんどん。」 とたたき出したのです。
相手のことなど一切当時 配慮などなかったのです。
【 次回に続く。】 【 転載コピー自由です。】