第332回 西日本豪雨水害 平島地区での御休消防団の活躍。
2020年8月7日金曜日の投稿です。
2020年 平島団地分裂騒動顛末記 53
今日のお話は前話の続きで、2018年7月7日土曜日に発生した
西日本豪雨水害で、
「みなさんが自家用車で北居都神社に避難出来る様に。」
と考えて土砂降りの雨の中、入り口の支柱と鎖を抜いて、右側に寄せて、
自分の家の方向に早足で歩いて戻りました。
2018年7月7日 土曜日 午前2時12分頃のお話しです。
僕は、次ぎに何を行ったのかというと、もう一度 当時の平島団地の
町内会長A6宅の玄関に向かいました。
すると、犬の鳴く声がしましたが、電気がついているのに応答はなかったのです。
そこで、300メートル程度北東にある、平島団地町内会の副会長の
A7子さんの家に向かって泥水の中を北方向に歩き、水の中から出て、
まだ当時水没してなかった、プロパンガス庫の前を東に進路をとったのです。
その目的は、みなさんに早く水害の危険を知らせる行動を行うべきだと
考えて、町内会の連絡網を使って、知らせてもらおうと考えていたのです。
【 2018年7月7日土曜日 午前2時35分撮影の平島団地8組東通り。】
道を右折すると、偶然 当時の平島団地町内会長夫人のA6子さんと
道路でばったり出会ったのです。
彼女は、フードのついた雨カッパを着込んで、長靴を履いて、傘を差して
いたと記憶しています。
僕が、午前2時20分頃か、彼女に、
「こんな大切な時にご主人はいったい何をされているのか。」
と、詰問をすると、彼女は、
「 主人は病気で入院しています。」
と回答したのです。
僕が、「 入院していることを他の町内会の役員は知っているのですか。」
と、聞くと、A6子さんは無言でクビを横にふったのです。
僕が、
「それなら、あなたと話をしましょう。」
「今、何をやらないといけないのかと言うと、危険を町内のみなさんに、急いで
知らせる事が大切です。」
と語ると、彼女は、
「 それは、もうしました防災放送をしてもらうように頼みました。」
「 消防署にも連絡しました。」
と、話していたら、そう、ほんの少々して、山陽マルナカ平島店の東方向から
消防車が僕たちの方にやって来たのです。
消防車は、当時、赤い回転灯を点滅しながら、「 チリンチリン。」
と鐘の音を鳴らしながら平島団地の2組と8組の境付近に停車したのです。
【 2018年7月7日土曜日 午前2時25分頃の消防車による避難放送の様子 】
町内会長の夫人 A6子さんは、到着した消防車の運転手に
土砂降りの雨の中、何やら避難を呼びかけてほしいと言う要望を
しきりに言葉で伝えていたように思います。
この消防車、乗っていた人は、わずかに1人で、プロパンガス庫の前を
左折して直進し、町内会長のA6宅で一時停止し、水深が深いと判断した
のか、南に直進せずに、ゴミ捨て場の前で左折し、平島団地公民館方向に
進んで、交差点で、マイクで、
「 みなさん、避難勧告が発令されました。」
「速やかに避難してください。」
と数回放送して、 チリン、チリン、と鐘の音を鳴らしながら走って、
中遊園地の前を左折して、1度水没していない本通に上がって、下り坂を
下って、右折して東方向に進んで行って、戻って来ませんでした。
【 2018年7月7日土曜日 午前2時35分撮影 平島団地西側の増水の様子。】
【 白い○は、当時の雨のしずくです。】
みなさん、随分たって、僕が聞いたお話しですが、
平島団地の東2キロ程度の場所に御休【みやす】と
言う場所の消防団の人が、午前2時頃1人で起きて、
消防団の消防車を動かして、平島団地に1人でかけつけ
てくれたそうです。
だけど、後、4人組町内会のB1元町内会長と話をしたり
して考えていたら、サイレンを鳴らして走っていただけたら
良かったかと思いますが、いろんな規則もあるのでしょうが、
次回の水害の時には、サイレンを鳴らす、そして、放送で
呼びかける、これを交互に繰り返すと良かったのではないか
と思います。
【2018年7月7日土曜日午前2時35分頃、平島団地に打ち寄せる漂流物の様子 】
A6子さんと、プロパンガス庫の北側で、打ち寄せる泥水の波を見ながら、
僕は、
「 早うせんと、わしらが立つとるこの場所が沈むのも時間の問題じゃのう。」
と、A6子さんの顔を見つめ、
「防災放送は、いつ頃誰に頼んだん。」 と聞くと、
A6子さんは、
「主人が手配していると思います。」と言うので、僕たちは
南方向に進み 泥水の中に入って行ったのです。
【 2018年7月7日土曜日 午前2時35分撮影、
当時はまだ約20センチ程度の深さでした。】
すると、 防災放送が聞こえて来たのです。
次回は、平島団地町内会長A6さんが2020年7月7日午前1時50分頃、
防災放送で避難を呼びかける決断をして、すぐには防災放送が行われなかった
経緯について、 2019年4月に僕が調査したことをみなさんに
お話しします。
【 次回に続く。】 【 転載、コピー自由です。】