さてさて………………


【伏見桃山城】の駐車場から、徒歩すぐに次の目的地はあった…………………ランニングアセアセダッシュ


ココロは過去に一度来たことがあるので、通算2回目の参拝となるお願いお願い

その場所とは…………………


【桓武天皇 柏原陵】
京都府京都市伏見区桃山町永井久太郎

宮内庁上の形式は円丘。


【桓武天皇(かんむてんのう)】
737年ー806年

日本日本の第50代天皇。


【平城京】から【長岡京】および【平安京】への遷都を行った天皇。

また、践祚と日を隔てて即位した初めての天皇でもあり、桓武平氏の始祖となる。


【柏原陵】とは別に、伏見区深草大亀谷御香町にある宮内庁の【大亀谷陵墓参考地】が桓武天皇が被葬候補者に想定されている。

在世中に宇多野(うたの)への埋葬を希望したとされるが、不審な事件が相次ぎ卜占によって【賀茂神社神社】の祟りであるガーンとする結果が出され、改めて伏見の地が選ばれ、柏原陵が営まれた。

これとは別に4月に柏原山稜に葬られた(『日本後紀』大同元年4月7日条)と記されている鉛筆にも関わらず、10月に改葬する記述があり(『類聚国史』巻35引用大同元年10月2日条及び『日本紀略』大同元年10月11日条)、天皇が崩御したその年のうちに最初の陵とは別の陵が築かれて改葬された可能性が指摘されている。

これについても、同年起きた水害の影響とする説、山稜とは別に殯宮が設けられていた説、記事の誤りもしくは埋葬の延期があったとして改葬自体を否定する説、桓武天皇との関係が思わしくなかった平城天皇が亡き父の祟りを恐れて完成した山稜を放棄して改葬を実施した説など諸説あるチューアセアセ

柏原陵の所在は、中世の動乱期において不明となり、さらに豊臣秀吉が築いた【伏見城】の敷地内に入ってしまったため、深草―伏見の間とのみ知られていたチューアセアセ
 


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【浄蓮華院】のココロ過去ブログはこちら上差し

元禄年間の修陵で深草鞍ケ谷町【浄蓮華院】内の【谷口古墳】が考定され、その後幕末に改めて桃山町の現陵の場所に定められた。

しかし、その根拠は乏しいと見られ、別に桃山丘陵の頂き付近に真陵の位置を求める説もあるため、確かな場所は現在も不明と考えられているえーんアセアセ


さらにてくてく歩くと………………ランニングアセアセダッシュ


京都から見ると、【伏見桃山城】の裏手に位置する。

その場所とは………………

明治天皇については、ココロ過去ブログがありました上差し


したがって、詳細は割愛させて頂きますチューアセアセ


畿内(京都)に葬られた最後の天皇。


ここからの景色上差しカメラもいいんだなあラブ

人が小さく写っているのが分かるかな!?!?!?


【伏見桃山城】へ向かう際に、たっぷり坂道を昇ってきたので、今回はこの長い長〜い石段上差しカメラを昇らずに降りるだけで済んだてへぺろ


この石段上差しカメラの凄さ写真で伝わるかなあ!?!?!?チューアセアセダッシュ


大正9年(1920年)、【明治神宮神社】の造営に伴い御祭神として祀られたお願い

その後、【関東神宮神社(在関東州/廃社)】、また【朝鮮神宮神社(在ソウル/廃社)】など海外神社にも多く祀られたお願いという。

戦後には、【北海道神宮神社(在札幌)】にも合祀されたお願い


近くには【昭憲皇太后陵】もあるけれど、お腹も空いてきたのでチューアセアセココロは、そろそろランチタイムナイフとフォークをとるために、【明治天皇陵】を後にした…………ランニングアセアセダッシュ



続く…………………。