さてさて………………


【仁明天皇陵】上差しカメラから徒歩ランニングすぐに、「その場所」はあった。


おお〜〜〜〜〜〜っ!!!!びっくり目

これか〜〜〜〜〜っ!!!!上差しカメラ


【浄蓮華院(じょうれんげいん)】
京都府京都市伏見区深草鞍ケ谷町1

文政4年(1821年)、比叡山の僧尭覚(ぎょうかく)上人により、桓武天皇菩提のために建立された寺院。

祀られているお願いという桓武天皇の肖像画は、比叡山からもたらされたと伝えられている。


【本堂】
旧本堂は、御所から移築された総檜づくりの檜皮葺で七間四方の建築であったが、台風傘雷台風により損傷を受けたため、終戦後に現在の洋風建築上差しカメラに建て替えられたという。

【谷口古墳】
そんな不思議な形態をした【本堂】の背後にあるのは【谷口古墳】上差しカメラだというびっくりアセアセ


【桓武天皇】

江戸時代まで、【桓武天皇陵】は現在治定されている伏見区桃山町永井久太郎の【柏原陵】ではなく、なんと!!!!この【谷口古墳】が比定されていたというびっくりびっくりびっくりアセアセアセアセアセアセ


伏見区深草谷口町には、この【谷口古墳】を指す上差し【桓武天皇陵】の石碑が設置されているというびっくりアセアセ

【柏原陵】の所在は、中世の動乱期において不明となり、さらに豊臣秀吉の築いた【伏見城】の敷地内に入ってしまったため、深草・伏見の間とのみ知られていた。

元禄年間の修陵でこの【谷口古墳】が考定され、その後幕末に改めて桃山の現陵の場所に定められた。

その根拠は乏しいと見られ、別に桃山丘陵の頂き付近に真陵の位置を求める説もあるため、確かな場所は不明である。

また、上記とは別に、伏見区深草大亀古御香町にある宮内庁の『大亀谷陵墓参考地』も桓武天皇が被葬候補者に想定されているびっくり


【本堂】の堂内には、深草毘沙門天と呼ばれる木造仏が安置されているという。鎌倉時代の作で、明治期に同じく比叡山からもたらされたと伝わる。

せっかくなので【谷口古墳】の近くまで行きたかったランニングアセアセけど、とにかく境内には人の気配がなく、かつ防犯センサー上差しカメラみたいなものがあったので、今回は残念ながら諦めてここまでとした笑い泣きアセアセ



続く……………………。