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いっきゅう会がゆく~宮城マスター検定1級合格者のブログ~

  難関ご当地検定として知られる宮城マスター検定1級の合格者で作る「いっきゅう会」のメンバーが、宮城の魅力をお伝えします!

宮城県や岩手県に伝わる民俗芸能として「鹿踊り」(ししおどり)があります。太鼓を持って踊る「太鼓踊り系」と幕を持って踊る「幕踊り系」があり、旧仙台藩領である宮城県や岩手県南部は太鼓踊り系の鹿踊りが伝承されています。
太鼓踊り系でも早川流、仰山流、行山流、金津流といった流派があり、それぞれの踊りや装束に違いがあります。太鼓踊り系は複数の人数で踊る鹿踊りで、角の生えた鹿の頭(雌鹿は角なし)を被り、“ささら”とか“やなぎ”と呼ばれる長い二本の腰指しを背負い、お腹の前で太鼓を叩くのがベースとなる姿です。その厳かで勇壮な踊りは観る者を夢中にさせてしまいます。
宮城県では道路際に立つカントリーサイン(市町村境界看板)に鹿踊りを採用する栗原市を筆頭に仙台市、気仙沼市、登米市、南三陸町、大崎市等で伝承されています。

(栗原市のカントリーサイン)
この鹿踊りを一堂に会して見ることできるのが栗原市一迫の山王史跡公園で毎年6月に開催される「みちのく鹿踊大会」です。令和7年の大会では栗原市の鹿踊りのほか、気仙沼市や登米市、県外の奥州市等6団体の踊りが披露されました。地元一迫の早川流清水目(すずのめ)鹿踊保存会の鹿踊りは狩猟の嫌いな息子が父親の鹿狩りをやめさせようと鹿の皮被り山中に潜んでいたところ、父親は気づかずに弓矢で殺してしまい、息子の供養のため弓矢を捨て踊り始めたと伝えられています。仙台藩祖の伊達政宗公がこの勇壮な踊りを好み、毎年仙台城に来て踊るように「行参」という二文字を賜り、さらには伊達家の家紋の一つである九曜紋を許され、装束にはこの文字と紋があしらわれています。

(清水目鹿踊(栗原市))

(早稲谷鹿踊(気仙沼市))


(佐沼鹿踊(登米市))

(真坂鹿踊(栗原市))
この鹿踊りの起源はお盆やお彼岸に先祖の霊を供養する「精霊供養(しょうりょうくよう)」のための踊りという説や狩猟で殺してしまった鹿への供養といった説がありますが、定かではありません。いつ頃から始まったのかも不明です。しかし、縄文時代から狩猟によって鹿や猪を捕えていたことを考えると、その頃から命をいただいた獣たちを感謝する儀式が行われていて、時代を経るごとに宗教や信仰に影響を受けながら、現在の形になっていったのではないかと想像してしまいます。
みちのく鹿踊大会の会場は一迫山王史跡公園です。この公園は国指定史跡「山王囲遺跡」が発見されたところで、園内には縄文時代の竪穴式住居が再現されているほか、「山王ろまん館」「山王考古館」といった出土品等を展示している施設もあります。竪穴式住居からは本物の鹿の頭や皮を使った被り物をした縄文人が出てきそうです。そんな場所で鹿踊大会を開催しているのは必然なのかもしれません。

(山王ろまん館)

(竪穴式住居)
悠久の時を経て昔人の想いが現在まで受け継がれている鹿踊り。6月に咲き誇る公園内のあやめと一緒に見ることがができます。

(あやめと鹿踊)

(執筆:斗田浜 仁)