《トリビアNo.108》夭折の彫刻家・高橋英吉の作品を見る | いっきゅう会がゆく~宮城マスター検定1級合格者のブログ~

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 高橋英吉(1911~1942)は石巻町(現石巻市)湊本町の出身で遠洋漁業や缶詰工場を経営する網元の家に生まれました。

 旧制石巻中学(現・宮城県石巻高等学校)を卒業後、1931年(昭和6)東京美術学校彫刻科木彫部に入学し卒業後、同校の研究科に進みます。文部省美術展覧会(現・日展)に出展した「少女像」が入選しますが、突然、学校を中退し南氷洋で操業する捕鯨船の乗組員になります。アトリエ開設資金を稼ぐため、精神を鍛え直すためといった理由が伝えられていますが定かではありません。しかし、この捕鯨船での経験がのちに「海を主題とする三部作(海の三部作)」と呼ばれる作品群を生み出す原動力になりました。

 1938年(昭和13)第2回新文展で「黒潮閑日」が入選、第3回で「潮音」が特選となり、第4回では無鑑査で「漁夫像」を出品、この3点が「海の三部作」と呼ばれ彼の代表作とされています。1940年(昭和15)に三浦澄江と結婚、1941年(昭和16)に長女・幸子を授かりますが、召集され太平洋戦争が始まると出征し、翌年(昭和17)11月にガダルカナル島で戦死します。31歳でした。遺作とされるのは12cmほどの「不動明王像」。戦地に向かう輸送船の中で古針を加工したノミで流木に刻んだとされる作品で、奇跡的に家族のもとへ届けられました。
 戦後、彼を知る有志が1975年(昭和50)「没後33周年・高橋英吉遺作展」を石巻市図書館で開催、1万人を超える来場者があり、1978年(昭和53)には彼を取り上げたテレビ番組が全国放映され、高橋英吉の名が全国に知れ渡ったのでした。これがきっかけとなり行方不明だった「潮音」が里帰りを果たすとともに、1981年(昭和56)には潮音がブロンズ化され、石巻市体育館玄関脇、市内牧山の大門崎公園、そして彼が眠るガダルカナル島のソロモン平和慰霊公苑に設置されることになります。

  (市体育館の「潮音」)

 彼は生涯で70を超える作品を残していますが、海の三部作を含め多くの作品を石巻市博物館が所蔵し一部を常設展示しています。
 宮城県を代表する彫刻家に2011年(平成23)に亡くなった佐藤忠良がいますが、高橋英吉は彼の1歳上の生まれ。もし彼が戦死していなければ、佐藤忠良のようにさらに多くの作品が生み出されていたことでしょう。夭折の彫刻家・高橋英吉の作品を石巻市博物館でぜひご覧下さい。

  (石巻市博物館のある「マルホンまきあーとテラス)

 

参考:石巻市博物館パンフレット

   石巻学Vol.8【特集】生きている高橋英吉

 

(執筆:斗田浜 仁)