特別展「なつかし仙台5」にて昔の東一番丁を探す ―後編― 《by マッツアン》 | いっきゅう会がゆく~宮城マスター検定1級合格者のブログ~

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 特別展「なつかし仙台5」の後編です。広瀬通より北側の東一番丁通の写真を探します。

 「水時計」の写真がありました。広瀬通の東映劇場の前にあった施設で1982年(昭和57)に設置されました。1979年(昭和54)から1982年に整備された歩行者専用の一番丁買物公園の一部です。落ちてくる水を子供たちがバケツで受ける仕掛けがあった時計ですが、2003年(平成15)に撤去されています。後ろの東映劇場の上映映画からすると1990年(平成2)の写真のようです。

 この東映劇場があったビルには、現在はディズニーショップが入っていますが、東映劇場だった名残があちこちに見られます。ビルの上を見上げると「東映」のマーク、ビルに入り口には「TOEIプラザ」と表記されています。

 

 東一番丁の夜の写真がありました。1937年(昭和12)頃の写真です。

 戦前の白黒写真ですがネオンサインがきれいです。右側に「コミナト」の看板あることから1887年(明治20)創業の雑貨店「コミナト」(現在はカバン店)あたりのようです。この隣には1882 年(明治15)創業の履物店「浅久」があり、100年越えの店が多いエリアですね。

 ( 現在のカバン店「コミナト」

 

 東一番丁をさらに北に向かうと東一番丁と交差する虎屋横丁があります。名前の由来は江戸時代からあった「虎屋」という薬店ですが、そのシンボルであった置物の虎が仙台市歴史民俗資料館の一階に現物が展示されています。1876年(明治9)の明治天皇の東北巡幸の際、明治天皇がこの置物を撫でたことから「御撫之虎」(おなでのとら)と呼ばれるようになった虎です。これも東一番丁の歴史では欠かせないものです。 

 

 写真に戻ります。加藤刃物店の写真がありました。

 1975年(昭和50)の夜のアーケード街です。隣にはドレス姿のマネキン人形がショーウインドウに飾られているところを見ると1933年(昭和8)に創業した写真館「江陽会館」のようです。その後結婚式場を運営、その後広瀬通にある江陽グランドホテルへとつながりますが、創業地には今でも写真館があります。

 ビルの脇には昭和時代からの懐かしい「江陽パルサー」の看板があります。描かれている女性は誰なのでしょう。この脇の横丁の名前が「森徳横丁」です。これは江陽会館の地にあった劇場の名前が由来となっています。当初は寄席に近い形の「大新亭」から歌舞伎等を興行していた「中島座」、「東座」などを経て、1892年(明治25)に森民酒造が運営する劇場「森民座」として開業、1900年(明治33)に「森徳座」に改称したことにより、この名前が横丁の名前となっています。

 

 最後は仙台市役所の写真です。

 1956年(昭和31)の野中神社の祭典の様子ですが、後ろに1929年(昭和4)に建てられた市役所が見えます。現在の市役所は1965年(昭和40)に建て替えられていますので、その9年前の写真になります。コンクリート製の尖塔が象徴的な地上3階、地下1階の建物でした。、仙台市役所は2028年(令和10)の供用開始を目指して、いよいよ2024年より建て替え工事に入ります。前の庁舎と同じほぼ60年の時を経ての建て替えになります。東一番丁通から市役所を望む見慣れた風景はどうなるのか。変貌を続けていく東一番丁。今後どんな歴史を刻んでいくのでしょう。楽しみです。

 

 仙台市歴史民俗資料館で開催されている「なつかし仙台5」は4月14日まで。記念講座や展示解説も行われるようです。詳しくは仙台市歴史民俗資料館のHPをご覧下さい。

 

 今回の写真(現在の写真を除く)は仙台市歴史民俗資料館にご協力をいただきました。ありがとうございました。