《トリビアNo.74》忠臣・伊東七十郎重孝 | いっきゅう会がゆく~宮城マスター検定1級合格者のブログ~

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 4月の初め、桜で有名な石巻の旭山に20年ぶりで行ってみた。旭山観音堂、頂上の神社を参拝して、東松島市内全体を見ることが出来た。その帰り、旭山の鳥居から数メーター先の左側に「重孝神社」と説明板があったので車を止めた。案内板は塗料が剥げて文字が読めないので、直接田圃のあぜ道を通って行ったら、小丘の上に神社が有り、大分痛んでおりました。神社の横に碑が有り、1930(昭和5)年創建され、その伊東七十郎の霊が祀られていました。伊東七十郎は、政宗に仕えた名将伊東肥前重信の孫にあたり、伊達騒動(寬文事件)のおり、伊達家を私しようとする伊達兵部に対し、これを討たんとしその機会を窺っていました。しかし、露見し、遂に捕らえられて獄に投ぜられ、獄中では、実に三十三日間抗議の断食を行い、「我が霊魂三年の内に逆賊を滅すべし」と絶命の言葉を残して、1668(貫文8)年斬刑に処せられました。齢36歳。その死の3年後の1671(寬文11)年、原田甲斐は大老酒井邸で刃傷に及び切り死にし、伊達兵部も土佐に流されることになります。その結果、伊東七十郎の名誉は回復され、重孝の忠烈が称えられ、4代藩主綱村により伊東家は再興しました。大事な史跡は常に整備しておいて貰いたいものです。

 伊東七十郎の碑石の紹介
〇縛地蔵尊:仙台米ケ袋刑場跡。七十郎が斬首されたので、供養のため建てられた。縄で縛られているのは表向きは罪人であるので、施主が偽装したとの説がある。
〇伊東七十郎重孝の碑:伊東家の旧屋敷跡、青木奈羅山(青木耳取殿説もある)
〇伊東七十郎辞世の句碑:柴田町船岡城趾公園
 人心惟危 道心惟微 允厥執中・・・・
〇伊東七十郎重孝招魂碑:仙台愛宕神社境内 神門の前
参考文献  河南町誌下巻他

(執筆 吾妻 信夫)