半月ぶりくらいに剣道で身体を動かしたら、ヤバイくらいに気持ちが良かったんです…
にわかには信じられないことだけど着替えてスポーツ腕時計つけたら体力が数ポイント回復していました。
発散…?
睡眠と休憩とお風呂以外で快復するんですね…
お盆明けで人数少なかったから、基礎練習を沢山して貰えました。
歳を取って良かったなぁと思いました。
だって、この感覚は、子どもの頃の自分には到底味わえなかっただろうなぁと思うのです。
元々持って生まれた繊細さ(HSP)と、家庭環境(親によるマルトリートメント)による心(脳)の萎縮で、身体を動かすとか、仲間や集団に加わることそのものが、ストレスだったから。
多大なストレスを感じながら、やらなきゃいけない(と親からの価値観の刷り込みで思わされていたこと)ことを必死に義務としてこなしていたそんな自分では、とてもじゃないけど、こうはなれなかった。
運動が苦手な自分なんかが武道なんてやっても…という気後れと、
そこに自分が居るということに対するいたたまれなさ、疎外感。
こんな下手でど素人、体力がない自分が仲間に加わったら、みんな迷惑じゃないかな?
とか、アホみたいなこと考えてたなぁ。
分かりやすく云えば、拗ねて不貞腐れてたんですね。
そんな状態の自分がその場に居合わせたら、そこの皆が当たり前にやっている声出し、アクション、全てに対して「怖い」「苦痛」「どうせ自分には上手く出来ないもん…」が先に来ていたでしょうね。
まあ、そんな設定で生きていたんですね。
それで人生が楽しい訳ない💦
でも、実は子どもの頃のスポーツテストで出る結果、運動能力は決して悪くはなく、ごく平均的でした。
そんなに劣等感感じる必要無かった筈なんだけど…不貞腐れて、避ければ避けることで苦手意識は蓄積して行ったんですね。
潜在能力的にはそれ程運痴では無かった筈なんだけど、気後れによる鈍臭さで、特にチームスポーツが辛かったんです。
剣道は個人だからいいっていうのもあるんだけど、そもそも心が体育会系にブロックがあったんだなぁと思います。
苦手、嫌いだと思っていたことを敢えてやってみるって悪くないと思いました。
話は変わるんですけど、、
実は先日、クレジットカードのネットのパスワードをどこにメモをしたか思い出せない事件がありました😰💦
最近脳が退化してるから認知症か?!
減断薬してるしな…やれやれ。
と思ったんですけれど。
いやまてよと。
脳のスペックの落ち加減は最近ずっと自覚してた訳で…自覚ある時点で認知症じゃないじゃんと。
…考えてみたら子どもの頃からそういう人間だったよわたしってっ…て。
20歳過ぎてから最近まで親から植え付けられた強迫観念で、人としてまともに生きていく為に一生懸命に「きちんとさん」を演じてたんだわ。どうせ演じきれなくてボロ出しまくる癖に。
でもまあ、その自分は紛い物で、義務的にやってたから本物のきちんとさん(きちんとすることが心から快楽な人)には到底及ぶ筈もなく。
多分、単純に色んなことを我慢しながら死に物狂いで社会に適合するのを辞めたんですね。
道理で最近時間を守るのが以前より難しくなったのか…笑
と実感しております。
まあ、以前から「どうしてそれが抜けるの…😰」ってことはいっぱいあったんですけどもね。。
とはいえこういうのはあまり宜しくないから、自分なりの対策はしていきますけれども…
誰かに植え付けられた強迫観念て意味がないんだなぁと実感しているところです。
例え、それが親の「子どもには苦労をして欲しくない」という純粋な愛情であっても。
(別に親を責めてる訳じゃありません。事実として述べてるだけです。)
自分自身で失敗して、現実で思い知る以外に、本当の意味で人が学べることって無いのかも知れませんね。
失敗して傷付くのは紛い物の自尊心。
等身大の自分から目を逸らして自己を過大評価してる(中二病)から、些細なことで傷付くんです。
紛い物の自尊心を守る為に現実から目を逸らすことは、自らの成長を拒否することで、即ち老化、または退行です。
老化、退行によって心も体も病んで行くんだなと思いました。
まあ、成長も老化も退行も、ただの変化なんですけれどね。
人はそうやって変化することで現実に適応して生きて行くんだなぁ。
自分がどっちの方向に変わりたいか、自覚的か、無意識か、それだけなんでしょうけれど。
自覚的じゃないと人はどんどん老化、退行の方向に行くんですね。
それを見越して子育てしていこうと思います。
自分自身を自分で育て直しながら。
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次回サードオピニオン(メンタルヘルス相談会)